永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(491)

2009年09月05日 | Weblog
 09.9/5   491回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(45)

 物怪はさらにつづけて、

「この人を深く憎しと思ひ聞こゆる事はなけれど、まもりつよく、いと御あたり遠き心地して、え近づきまゐらず、御声をだにほのかになむ聞き侍る。よし今はこの罪軽むばかりのわざをせさせ給へ。」
――この人(紫の上)を、深く恨んでいるわけではなく、あなたの方に獲りつきたいのですが、あなたは神仏の加護が強く、非常に遠い心地がして近寄れないのです。お声をほのかに聞ける程度なのです。どうぞ今、私の罪障が消えますように仏事供養をしてください――

「修法読経とののしる事も、身には苦しくわびしき焔とのみまつはれて、さらに尊きことも聞こえねば、いと苦しくなむ。」
――修法や読経などと大騒ぎされましても、それは物怪調伏のためであって、私の身にとっては焔に包まれるように苦しく、尊いお経文も聞こえぬのでとても苦しいのです――

「中宮にもこの由を伝へ聞こえ給へ。ゆめ御宮仕への程に、人ときしろひ嫉む心つかひ給ふな。斎宮におはしましし頃ほひの、御罪軽むべからむ功徳のことを、必ずせさせ給へ。いと悔しき事になむありける」
――秋好中宮にも、私のことをお伝えください。決して宮仕え中には他の婦人と衝突や嫉妬を起こしてはなりませんよ。斎宮時代(伊勢の斎宮として)、仏事に遠ざかっていた罪を消す程の供養を必ず勤めなさい。斎宮になった事は死後の身にも残念なことだったのですから――

 と、物怪は言い続けますが、それに答える気にもならず、源氏は一層強く祈祷で封じ込めて、紫の上を別の場所にお移しになります。
 世間では、紫の上御死去の報が広がって、折しも賀茂の祭りの帰りに人々は、口々に、

「いといみじき事にもあるかな。生けるかひありつる幸い人の、光失ふ日にて、雨はそぼ降るなり」
――大変なことになってしまった。生き甲斐のある幸運な人(紫の上)が光を失う日なので、雨がそぼ降るわけなのだな――

 などと、冗談めいて言う人や、「ああ何もかも揃った人は、決まって長生きしないものだ」などと、もう死んでしまったかのように言うのを、源氏は縁起でもないと思っていらっしゃる。

◆斎宮になった事の残念=神社の神に仕えていた期間は、仏道を離れていたので、
 仏の加護が得られていないので、その埋め合わせにも仏道に立ち戻ってお勤めをしなさい。この時代、神道より仏教が身を救ってくれると信じられていた。

ではまた。