永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(515)

2009年09月29日 | Weblog
 09.9/29   515回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(69)

 柏木は、

「人よりけにまめだち屈んじて、まことに心地もいとなやましければ、いみじきことも目にとまらぬ心地する人をしも、さしわきて空酔ひをしつつかくのたまふ、たはぶれのやうなれど、いとど胸つぶれて、盃のめぐり来るも頭いたくおぼゆれば」
――人よりも真面目くさって沈み込んでおり、実際気分も大変悪そうで、楽しい催しにも格別目を留めていない、そんな人を、源氏が取り分け名指して、酔ったふりをなさって、このように言われますのは、冗談のようでも、柏木自身は胸がつぶれるほど、どきっとして、盃がめぐってきましても、ひどく頭が痛くて仕方がなくて――

「気色ばかりにてまぎらはすを、御覧じとがめて、持たせながらたびたび強ひたまへば、はしたなくて、もてわづらふさま、なべての人に似ずをかし」
――(柏木が)飲む振りをしてごまかしていますのを、源氏は見咎めて、盃を取らせては何度も無理にすすめて飲まされますので、柏木が困り切って飲みかねている様子は、
他所から見れば、なかなかに慎ましげにみえます――

「心地かき乱りて、堪へ難ければ、まだ事もはてぬに、まかで給ひぬるままに、いといたく惑ひて、例のいとおどろおどろしき酔ひにもあらぬを、如何なればかかるらむ、つつましと思ひつるに、気ののぼりぬるにや、いと然言ふばかり、憶すべき心弱さとは覚えぬを、いふかひなくもありけるかな、と自ら思ひ知らる」
――(柏木は)いよいよ気分が悪くて、まだ宴会が終わらない内に帰宅されますや、ひどく患い出しまして、常の時のように、大そう酔ったという訳でもないのに、どうしてこうなのだろう、「申し訳ない」とあの事を心に責めていましたので、のぼせたものであろうか。「まさか、それほどの気弱さとは思っていなかったのに、何と不甲斐ないことよ」と自分でも思い知ったのでした――

「しばしの酔いの惑ひにもあらざりけり。やがていといたく患ひ給ふ」
――しかしそれは、一時的な悪酔いではありませんでした。やがてそのままひどく重体になられたのです――

◆まめだち屈んじて=生真面目に沈み込んで

ではまた。