09.9/23 509回
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(63)
源氏はつづけておっしゃいます。
「心苦しき御消息に、まろこそいと苦しけれ。思はずに思ひ聞こゆる事ありとも、おろかに人の見とがむばかりはあらじとこそ思ひ侍れ。誰が聞こえたるにかあらむ」
――気にかかるお手紙で、私こそはなはだ困ります。たとえあなたを心外なことと思いましても、貴女を粗末にしているなどと人から言われるようなことはするまいと思っているのです。いったいだれが朱雀院へ奏上なさったのでしょう――
女三宮は、
「はぢらひて背き給へる御姿も、いとらうたげなり。いたく面痩せて、もの思ひ屈し給へる、いとどあてにをかし」
――恥ずかしそうにお顔を背けていらっしゃるお姿もまことに幼い。随分と面痩せなさって、ただただ物思いに沈んでいらっしゃるのが、たいそう高貴で美しくいらっしゃるが――
源氏がつづけて、
「いと幼き御心ばへを見置き給ひて、いたくはうしろめたがり聞こえ給ふなりけりと、思ひ合はせ奉れば、今より後もよろづになむ。かうまでもいかで聞こえじと思へど、上の御心に背くと聞し召すらむことの安からずいぶせきを、ここにだに聞こえ知らせでやはとてなむ……」
――院は貴方の子供っぽいご性質をご承知でひどくご心配なさっておいでなのだとお察しします故、今後も十分ご注意なさい。こんなことまで申し上げたくはないのですが、院が私を御意に背くと考えておいでらしいのが心外で、気になりますので、せめて貴女だけにでもお知らせしておこうと思うのです。…――
と、朱雀院から切にご養育をと頼まれましたいきさつをお話になります。
「いたりすくなく、ただ人の聞こえなす方にのみ寄るべかめる御心には、ただおろかに浅きとのみおぼし、また今はこよなくさだすぎにたる有様も、あなづらはしくて目馴れてのみ見なし給ふらむも、方々に口惜しくもうれたくも覚ゆるを、院のおはしまさむ程は、なほ心をさめて、かの思しおきてたるやうありけむ、さだすぎ人をも、おなじく准へ聞こえて、いたくな軽め給ひそ」
――思慮が浅く、ただ、人が申し上げる通りに行動なさるような貴女のお気持ちでは、私がまるで心が疎いばかりとお考えなのでしょう。また今ではひどく年老いてしまった私の様子も、常に軽蔑の目でのみ見慣れておいでかと、あれこれにつけ、残念にも侘びしくも感じるのです。朱雀院が御在世中は、やはり気が落ち着けるところとて、院にお考えがあって貴女を私にお頼みになられたらしいこの老人(源氏・自分の事)に対して、どなたか(柏木を仄めかして言う)と同じような身分のようなお考えで貶め、あまり軽蔑さなさるものではありせんよ――
◆安からずいぶせきを=(安からず)=心が落ち着かない、不案。(いぶせき)=気持が晴れない、気がかりだ。
◆いたりすくなく=至り少なく=思慮が浅い
◆さだすぎにたる有様=さだ過ぎ=時が過ぎる、盛りの年が過ぎる、老いる。
ではまた。
三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(63)
源氏はつづけておっしゃいます。
「心苦しき御消息に、まろこそいと苦しけれ。思はずに思ひ聞こゆる事ありとも、おろかに人の見とがむばかりはあらじとこそ思ひ侍れ。誰が聞こえたるにかあらむ」
――気にかかるお手紙で、私こそはなはだ困ります。たとえあなたを心外なことと思いましても、貴女を粗末にしているなどと人から言われるようなことはするまいと思っているのです。いったいだれが朱雀院へ奏上なさったのでしょう――
女三宮は、
「はぢらひて背き給へる御姿も、いとらうたげなり。いたく面痩せて、もの思ひ屈し給へる、いとどあてにをかし」
――恥ずかしそうにお顔を背けていらっしゃるお姿もまことに幼い。随分と面痩せなさって、ただただ物思いに沈んでいらっしゃるのが、たいそう高貴で美しくいらっしゃるが――
源氏がつづけて、
「いと幼き御心ばへを見置き給ひて、いたくはうしろめたがり聞こえ給ふなりけりと、思ひ合はせ奉れば、今より後もよろづになむ。かうまでもいかで聞こえじと思へど、上の御心に背くと聞し召すらむことの安からずいぶせきを、ここにだに聞こえ知らせでやはとてなむ……」
――院は貴方の子供っぽいご性質をご承知でひどくご心配なさっておいでなのだとお察しします故、今後も十分ご注意なさい。こんなことまで申し上げたくはないのですが、院が私を御意に背くと考えておいでらしいのが心外で、気になりますので、せめて貴女だけにでもお知らせしておこうと思うのです。…――
と、朱雀院から切にご養育をと頼まれましたいきさつをお話になります。
「いたりすくなく、ただ人の聞こえなす方にのみ寄るべかめる御心には、ただおろかに浅きとのみおぼし、また今はこよなくさだすぎにたる有様も、あなづらはしくて目馴れてのみ見なし給ふらむも、方々に口惜しくもうれたくも覚ゆるを、院のおはしまさむ程は、なほ心をさめて、かの思しおきてたるやうありけむ、さだすぎ人をも、おなじく准へ聞こえて、いたくな軽め給ひそ」
――思慮が浅く、ただ、人が申し上げる通りに行動なさるような貴女のお気持ちでは、私がまるで心が疎いばかりとお考えなのでしょう。また今ではひどく年老いてしまった私の様子も、常に軽蔑の目でのみ見慣れておいでかと、あれこれにつけ、残念にも侘びしくも感じるのです。朱雀院が御在世中は、やはり気が落ち着けるところとて、院にお考えがあって貴女を私にお頼みになられたらしいこの老人(源氏・自分の事)に対して、どなたか(柏木を仄めかして言う)と同じような身分のようなお考えで貶め、あまり軽蔑さなさるものではありせんよ――
◆安からずいぶせきを=(安からず)=心が落ち着かない、不案。(いぶせき)=気持が晴れない、気がかりだ。
◆いたりすくなく=至り少なく=思慮が浅い
◆さだすぎにたる有様=さだ過ぎ=時が過ぎる、盛りの年が過ぎる、老いる。
ではまた。