永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(494)

2009年09月08日 | Weblog
 09.9/8   494回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(48)

 時は五月雨(今の六月)の季節で、晴々としない空の気色に加えて、紫の上のご病状もすっきりとしませんが、それでも以前よりいくらかずつ良くなっていらっしゃるようです。あの時の物怪も時々現れては、「もう来ません」などと言うものの、まったく去ってしまうということもなく、暑い季節に向かっては、また紫の上のお身体も弱ってきて、源氏は本当にご心配で歎いていらっしゃる。

紫の上は、

「世の中になくなりなむも、わが身にはさらに口惜しき事残るまじけれど、かく思し惑ふめるに、空しく見なされ奉らむが、いと思ひぐまなかるべければ」
――私が亡くなろうとも、私自身では何も残念な気持ちが残ることはないのですが、源氏の御方が、私と死別ということになりましたなら、どんなにか思い嘆かれるかと、ご同情に堪えませんので――

 無理にも元気を出して薬湯などを少しずつ召し上がるようになられたせいか、六月になる頃には、御頭を持ち上げられるようになりました。しかし源氏はまだまだ心配で、六条院へはお渡りになれません。

 女三宮は、柏木との秘密の事があって以来、お身体の具合が悪く、五月ごろからはご病気ではないのに、お食事も進まず、青ざめて衰えてこられました。

「かの人は、わりなく思ひあまる時々は、夢のやうに見奉りけれど、宮、つきせずわりなき事に思したり。」
――かの人(柏木)は、どうしても我慢が出来ないときどきは、夢のような逢瀬を重ねておりましたが、女三宮は、ひどく困惑され、限りもなく辛く思っておられます――

 柏木は源氏を怖れつつも、このような有様なのでございました。世間的には柏木を普通の人以上だと皆が思うでしょうが、源氏の立派なご様子に親しまれた女三宮からすれば、

「めざましくのみ見給ふほどに、かくなやみわたり給ふは、あはれなる御宿世にぞありける。」
――ただ、癪にさわる気持ちで見ておられる内に、こうして御懐妊になられたのは、ご同情に堪えぬ御因縁というものです――

 宮の御懐妊に気づいた侍女たち(源氏の御子と信じておりますので)は、それでもたまにしか来られない源氏にぶつぶつと不平を申し上げるのでした。

◆写真:6月頃の夏ツバキ

ではまた。