ジミーの自然ブログ (Jimmy's Nature blog )

花の美しさ 自然の素晴らしさを 伝えたい。 

 マグニチュード9の地震 15mの津波に襲われた富岡町に行きました。

2018年07月10日 | 自然 花 写真

    (  福島県 富岡町のかっての桜のトンネル。 また甦る日は来るのか ? )

 

今回の豪雨被害に遭われた皆さんに 心からお見舞い申し上げます。

多くの亡くなられた方々のご冥福を祈ります。 回復の早いことを祈ります。

今日 いわき市から富岡町までJRとバスで行って来ました。今回山形の月山登山が目的
でしたが もう一つ福島に立ち寄り 3・11東日本大震災とその復興を頑張っている
富岡町や浪江町を訪ねたいという目的もありました。震災から7年 風化と風評が心配でも
ありました。以前角さん、本多さんと宮城を訪ねたことがありましたが 私たち一般人が
被災者を励ますには 実際に現地を訪ねることではないか? 現状を少しでも伝えていく
のも 励ます手段ではと思い 列車を乗り継いで いわき市にやって来た次第です。

車がないので 富岡町まで運行しているJRに乗って 富岡まで来ました。途中海岸線など
復興の様子を少し見ることが出来ました。 何より田んぼの稲穂が太く しっかり成長して
いるのを見て 農業が、生活が守られているなーと心強く感じました。富岡駅は津波で全く
破壊されましたが 今は新しくなっていました。 ただ常磐線は 富岡ー原ノ町駅が不通で
バス代行が今もされています。富岡町役場を訪ね 係の人に資料を貰い 説明を受けました。

6月に東電が 『第二原発を廃炉にする』という決定を県知事に伝えるという号外がテーブルに
置かれていました。知事も 『 県内原発の廃炉は県民の強い思い 』 と述べていました。
第一原発の廃炉が進まず 県内産業の復興や 避難住民の帰還を遅らせている『足かせ』を除く
意図があったようです。 あれから7年 実際の廃炉の完了には 更に数十年かかるとされて
おり 安い 安全と言われた原発が どれ程県民に困難を強いているか 改めて思いました。

資料の中に 震災前の町内の写真がありました。サクラのトンネルというこの街のシンボルが
今は帰還困難地域に隣接し 手入れされることもなく 昔の美しい桜でなくなっていると聞き
残念に思いました。この富岡町はTVでイノシシが人の居なくなった地域を闊歩している場面が
紹介されています。飼われていた牛やペットも野生化していると聞きます。哀れな感じもします。

何より15000人もあった人口が 700人を切っていると聞き 災害が与える恐ろしさを思いました。
富岡町は福島第一原発の10k圏内にあり 水素爆発などから避難指示が出て 東京など県外に
2700人 いわき市など県内の町に約1万人避難しました。未だ戻れない多くの人々がいます。
災害公営住宅も建ち 昨年4月から入居が始まっています。戻る人が増えるといいですね・・。

町立の診療所も医療センターも開院しました。 町立学校も再開。 産業団地も2年後供用予定で
整備中。帰宅困難区域の再生拠点復興計画は平成35年に1600人の居住を目標に準備中ということ
でした。除染の取り組みも進み 宅地の空間線量率も74%低減しているとの報告もあり 私も
表土の交換で出来た汚染土の処理が 進んでいるのを見ました。中間貯蔵施設への移動が行われて
いる模様です。一部を除き 避難指示は解除されました。 この7年 町民や自治体の取り組みは
大変なものだったと思います。 ようやく復興の足がかりをつかんだという段階かと思います。

明日いよいよ忍野へ戻りますが 早起きして浪江町へ行くつもりです。公共交通の数が少ないのです・・。

 

富岡町の夢を託して・・、 復興のキャンペーン !

除染された表土の処理が進んでいます。

多くは 双葉町などの中間貯蔵施設へ移されているようです。

 

 

造成工事が 各所で行われていました。

富岡町のゆるキャラ、 とみっぴー。 町役場で。

この富岡町庁舎は 震災前からありました。 大きな被害はありませんでした。

常磐線 いわきから乗り 38分で富岡駅に到着。現在のところ JRはここまで。

災害公営住宅の一戸建て。64戸建っています。

いわきから富岡町への沿線。 稲田の苗は しっかり育ってたくましい・・。

途中駅の きど。 こんなお城があるのでしょうか・・?

太平洋は少し荒れて居る感じ。 手前は防潮堤ですね。 海からガスが発生 !

いわき市の朝 全国的に 猛暑だったですね。

 

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コメント (2)
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