( 大きな松明を数人で立てて 点火の準備。 屋台も準備中です・・。 )
又も北九州が水害の被害に! 川が決壊し 住宅街や田畑が水浸しに。ゴムボートで救助される人を
見ていると もう少し早めに避難出来なかったかなー と思うが 仲々避難指示や勧告が出ても
高齢者や独り暮らしでは 決断もつかない・・かも ? それにしても異常気象と思われる天気が
続いています・・。
土田さんの仰る通り 19000歩は 歩き過ぎで もう暗い道を駅へ戻る時 足の蝶番がかみ合わなく
なり 腰は重荷を担いだように重くなり 左の足首が痛みをもってきました。しかし預けた荷物を
取らざるを得ず 駅まで戻って行った結果が19000歩となった次第です。翌日の午後熱が出て 痛みと
共に頭がボーッとして 気力を失ってしまいました。幸い薬で数時間後 回復しましたが 風邪の症状が
ぶり返したのも事実で 程々でないと・・いけないと後悔しました。ブログ記者としてメインである
浅間神社の松明点火まで撮らないと記録にならないと頑張った・・と言い訳をしたら 家内からいつもの
ように 『 誰も頼んでいない! 』という冷たい言葉・・・? 返す言葉もなかったですね・・。
富士吉田の火祭りは 富士山の噴火を鎮める祈りから始まったようです。ここ300年富士山は噴火して
いませんが その昔は何度も噴火を起こし 近隣の住民に溶岩の流出や火山灰 噴石などで多くの被害を
与えた事実があります。元々富士山は4つの異なる火山が重なって出来たもので 約1万年前に新富士
火山が溶岩流を大量に噴出させ 広い裾野を形成し 現在の形になったそうです。その後も噴火が続いて
優美な円錐形の火山を完成させた訳です。今ある富士五湖も大噴火によって出来たもので 忍野八海も
元あった忍野湖が 干上がって 一部バラバラに残った湧水池の集まりということです。
奈良時代から平安時代にかけて 富士火山帯は活動期にあり 資料として残っているだけでも十数回に
及び 800年 864年の噴火は 1707年の宝永噴火と合わせ 3大噴火と呼ばれています。記録では
864年の大噴火は 卜占の結果 浅間神社神職の祭祀怠慢?によるものとされ 各地で祭祀が盛んに
なったと言われます。そんなところから富士山信仰が興り 祭神はコノハナサクヤ姫命で 火の中で
神子を無事に出産したという。 火を鎮める力のある女神となっている。ちなみに浅間(せんげん)
神社の『浅間』とは火山を意味する言葉だそうです。
富士吉田にある北口本宮富士浅間神社の起源は古い。紀元110年 日本武尊(やまとたけるのみこと)の
東征の折 富士山を遙拝した丘に祀られていた浅間明神(噴火の荒ぶる神)を起源とし 788年に現在の
地に 遷座したとか・・。富士講や御師(昔の富士山登りのリーダー)と深く関わりながら 富士山信仰の
拠点として発展した。日本神話に出て来る日本武尊が登場するにあたっては ??がつくのですが
富士山は当然それよりも古いわけで 日本人の恐れ(畏れ)が前提になっていますね・・・。
夕方6時半 先触れとうのか 白いはっぴのお兄さん ?が 火祭りのスタートを声かけています。
火祭りもたけなわ。 夜空を松明(たいまつ)が焦がし 最高潮 !!
燃えさかる松明の脇を観光客が歩きます。結構火花がパチパチ飛んでいます。
国指定の重要無形民俗文化財 ということです。
『 三国第一山 『 と額に 書かれている
夏の富士山の山じまいのお祭りとして 富士吉田の北口本宮富士浅間神社と諏訪神社の共催ということです。
高さ3mの松明に火が付けられる これは神事なんですね。 その前には 神輿や神楽もあります。
松明は約70本。家毎には 井桁に組まれた小松明にも一斉に点火されます。
弘法大師の衣装ですね。 これが富士講でしょう・・。江戸時代 各地から盛んに富士山に登った!
女性は富士山には当時登れなかった・・と聞いて居ますが・・・。
浅間神社の長い参道を歩きます。大きな鳥居が見えるでしょうか ?
これは今年のポスター。