( ジンジャー系(しょうが)の 花縮砂(はなしゅくしゃ) 自分で育てられた 教会の生け花です。)
最近耳が聞こえづらく もう一度聞き返すことが多くなっています。マスク越しのせいもありますが 分かるまで
黙っていること・・ これはつらいことで 充分な 的確なコミュニケーションが出来ない。私は口で生きて来た・・?
と 家族に言われるが そんな人間が無口になったら 生きている楽しさがありません・・? 人々が生きる限り
会話 交わり コミュニケーションは必要だから・・・。
コロナ禍になって 自粛が要請された。人々が集まる会合 儀式 スポーツなどが次々に中止 延期されるようになった。
老人会が中止になって 生きる気力が無くなったという高齢者もいる。最近復活したグランドゴルフもいわば老人会の一種。
運動を通して会話をしている。それをマスクをして 距離を置いて離れていては 片言話しで終わってしまう。興に乗って
くると・・ ふといけない!と思う。 距離を置かなくては・・? お城当番というボランティアガイドも 15分以上の
会話は禁じられている。全てはコロナの感染防止の為です・・。本当につらい季節が続きますね・・・。
『 新しい生活様式 』が定着しつつある。マスクをする、ソーシャル ディスタンスをとる、3密を避ける。換気 検温
消毒・・、不要不急な外出を避け 発熱 風邪の症状がある場合は自宅で療養・・。要するに自粛である。コロナ危機は長期化
する・・という声が増えて来ました。例えワクチンが出来ても その効果は短く いたちごっこになるという。ということは
人類が長い間かかって築いてきた交わりの文化が危なくなる・・ということ ? 人間とは人の間であり 人という文字も
支え合い 助け合いを意味する。それが距離を置いたら お互い倒れてしまう・・・ ?
恋人 夫婦 親子の距離は45cm 友人達の立ち話やパーティーは1.2m 商談などは3m前後 講演会などは3.6m以上と
距離でコミュニケーション(交わり)方法が変わってくる。それがソーシャル ディスタンス(社会距離)だ。今2mは空ける
ように言われているが これは親しい人間関係ではない。ときめくような会話は成り立たない。これが当たり前になれば
密なる 親しい人間関係は失われる。新しい生活様式とは人々が疎遠になる 社会的つながりが断ち切られる 喜びも悲しみも
ない デジタルのような機械的関係になってはいく・・・。
高齢者 独り暮し 職を失う人々はコロナ禍(騒ぎ)で孤立を深めている。 いやもっと多くの人々が孤独を感じている。他者が
接することで命が支えられている人もいて 死活問題にもなっている。多くの団体が活動を停止し 又大幅縮小させている。
全てが自粛に走り 軟禁状態の長期化と言われる。それによって精神が蝕まれていく。お葬式も周りの知人 友人も呼ばず
家族葬だという。地方からの親類・友人の移動など許されないこと・・? 岡江久美子さんの死で 遺骨さえ直接受け取れず
玄関先の椅子に置かれたと聞いて 唖然とした。
お盆でも子どもや孫達に帰って来るな! というのはつらいことだろう。幾らテレビ通話が出来ても どこかに虚しさが残る。
現場の熱気 活気が大事なのだ。やはり会話が出来ても距離がある。ネット利用はある面 便利で新しいつながり型だが
足りないものは残る。『 場の共有 』である。Kさんが最近会合を持ったが 33名の人々が集まって 大いに盛り上がった
という。昔ながらの近い距離で 共に居る喜びを実感されたのでは・・。コロナ禍ではあるし 耳が遠くなりつつありますが
どれだけ日常の生活に戻れるか私も試してみたい !
小さい花ですが 紅い色なので 縷紅草(るこうそう)と言います。 白もピンク色もあるようです。
赤い花の典型 ! 真っ赤なハイビスカス。
群れで咲くのが普通ですが 玉すだれ 1輪でもきれいです。 白は上品さがあります。
似ている花が多くありますが、 関東ヨメナ。
家庭菜園でも見る 韮(にら)の花
今年最初の ムラサキシキブ。
山中湖の花の都公園のような 見渡す限りの百日草(ひゃくにちそう) と言う訳にはいきませんが・・。
今 最も元気そうなのが白粉花(おしろいばな) 午後から しょんぼりするのは 私と似ている・・。
雨にも 風にも弱いです・・。
早起きにはもってこいの花。 玉すだれは 少し朝寝坊です・・。
サルスベリは 百日紅と書きますが 確かに何時までもキレイに咲いています。
イモネノホシアサガオ でした。 昼顔科のサツマイモ属なので こんな名前・・。
松葉(まつば)ボタン。我が家にもありますが 今年は花があまり付きません・・。
日々草(にちにちそう)。この花も初夏から晩秋まで 咲きます。