信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

あの頃・・・・・

2009年08月01日 17時06分38秒 | Weblog
土曜日。
お天気が悪いため、家事を詰め込まず(畑での作業が出来ない)午前中、シカゴの息子夫婦とスカイプの通話で近況を知り、
次に繋がったフランクフルトの姪と時間気にせず話が出来、離れたそれぞれの生活が確かめられた。
こちらはお昼過ぎ、シカゴは夜10時頃、そしてフランクフルトはおはようと言って出て来た。
休日はいつもより時間が過ぎていくのが早い。
あれもこれもとその度に手を付け、冷蔵庫の中身まで引っ張り出して掃除をしたら夕方になっていた。
外は雷と共に豪雨でひどい降り方である。

犬の首輪に付いていた、鈴が取れて床に落ちていた。
インド製の音が澄んできれいな音が気に入って2匹のそれぞれの首輪につけていた。
落ちた鈴をさあ何で又首輪につけようかと、針箱を覗いた。
最近針箱とは縁遠く、ボタンをつける、かぎ裂きを繕う、
という作業が日常生活から消えうせものが豊富になり、手作業する場面が無くなってしまった。
針箱を探すと、レース糸が出て来た。
傍には鈎針が何本かある。
手にとってレース糸を鈎針で、鎖編みをしてみた。
ああ、まだ忘れていない・・・・・。

ふと思いは遠い昔に戻って行った。
初めて毛糸で鈎針を持って長編みで、小さな手提げ袋を編んだのが小学6年生。
それからどんどん、有り余る時間の中、
鈎針で中学生や高校生の頃の夏の自由課題はレースのテーブルセンターを仕上げて提出していった。
あの頃は一枚一枚のドイリーを繋げては、大きなセンターに広がって行った。
パイナップル模様などもあったっけ。
いまや100均でその手のレースは買えるが、あの時代に仕上げたテーブルセンターだ一体どこへ行ったのだろう?
あの暑い福島での中高時代にあの集中力はいまだに感動ものだ。
と思いながら、そうだ高校時代には夢を持って将来に想いを馳せていた。

今60代を通過中、あの夢は全く違った方向へ来て、これで良かったのだろうかと
思いはするが、後悔はしない。
夢中で選ぶことも無かったかもしれないし目の前に来た事象を受け取りながら此処までやって来たのだ。
子育てや、仕事や、移住などは考えに考えながらやって来たと思っているから後悔していないのであろう。
そんなことを僅かな時間で振り返って、レース糸から繋がる思い出って、
深海の底から浮き上がってきたような、普段思いつくことも無い思い出である。

歳を取ったら、林の中の木漏れ日で犬が傍で眠り、
私はレース編みや、セーターや刺繍をしながらゆっくりとした時間を送りたいと夢を持っていた。
今その環境を手にしていながら、その頃考えることも無かった体の衰えが、良くわかった。

眼だ。

眼が細かい物を見るには老眼鏡のお世話にならねばならない。
すいすい何の疑いも無くはかどっていった手作業は
今や、鈎針を持って鎖編みをすることさえ眉間に皺を寄せながら、のことで遠い若い時代の夢は、今やかなりの決心が必要になっている。
ついでに感傷的な自分のこころの延長で
、You Tubeで神田川やいい日旅立ちなどを聞いて豪雨で白く煙っている外の景色を見ていた。
こんな小さな想いも休日の日だからこそ出来たことかもしれない。