信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

親の心とは

2009年08月09日 23時11分42秒 | Weblog
朝、大急ぎで朝食を済ませあたふたと車で須玉まで飛ばし、友人のお見舞いを済ませた。
お昼過ぎ、ムスメは奥飛騨の勤め先まで戻って行き、
Jマートで買い物を済ませたあと不安定な空模様を気に掛けながら畑の作業を始めた。
梅雨明けを聞いてからずっと数週間雨が続き、先週の月曜日、僅かに晴れ間が覗いた。
しかしその夜から今度は毎晩夜になるとゲリラ豪雨の繰り返しで、立秋に入ってしまった。
今日は僅かな晴れ間の中、畑の手入れを行なった。
雨続きのお陰で雑草はやりたい放題伸び、トマトは立ち枯れ、どこから手をつけて良いやら・・・。
絶対サボっていなかったのに、行った先で座り込み、これまでやっていた仕事を忘れ散漫なる仕事ぶり。
汗を飛ばしながら、がむしゃらに、手当たり次第目の前の作業を片付けていると、あららら・・・・
もう夕方の6時のオルゴールが火の見やぐらから流れて来る。

ずっと午後から畑に入りっきりであったが、心がずんと重く色々別なことを考えてみても変わらない。
過去に同じような気持ちでいた時があった。
昨年、カナダから帰って来るときの機内でのあの時。
ムスメとバンクーバーで別れた時と同じだ。

昨日帰宅してこれから先の仕事について話し、ムスメとしては半年かかって準備して手にした仕事であり、親としては心配はあってもこれまでと似た様なこと、
世間にお役に立つならと物分りの良い事を見せた。
けれど実際、独りになり、でかけて行ったムスメが後半年もしたら遠いアフリカか・・・・と思うと物分りの良い筈が本当は違っていたのだ。

親心は複雑だ。
やわい弱い心を隠して、その上からコンクリートを流しこむことをやってのけることをする。
強いハハを演じて実はそうは行かないものであることを、今日も畑で何時間も農作業をしても心は晴れないため自分の心を鏡で覗いてしまった。

外は既に秋の気配でまだ8月なのに秋の虫が鳴いている。