信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

過ぎし日々

2009年08月08日 13時49分30秒 | Weblog
季節は微妙にその時その時で思い出を振り返らせてくれる。
今頃になると、丁度カナダでロッキーの山でトレッキングをしていたなぁとふわっと甘い気持ちに浸っている。
だが、それは瞬時のことで又すぐに今の自分に戻り忙しい忙しいと休めていた掃除の手を再開したりする。

昨年の今頃は家族3人(嫁も含む)それぞればらばらで暮していた。
息子は突然、シカゴへ赴任することになり、短い準備期間で慌てて
出国して行った。
英語会話能力もそこそこにである。
行けば何とかなるさ精神で半分破れかぶれであった。

娘はというと、カナダからこれも天からのお恵みかロンドンとアルジェリアの行ったり来たりの勤務に就いた。
母親だけがかけ離れて信州の村での生活で、親子の文化の差は非常に大きかった。

それぞれが6月から生活の場を異にし、苦労を背負った。
息子は日本人がいない職場でいきなり英語での専門の仕事でちんぷんかんぷん。

娘も北アフリカの中でセキュリテイ上ガードマンつきメイドさん付きで飛行機での移動しながらの勤務。
車は危険な国であるから、一人では行動できない、籠の鳥状態。
これも英語とフランス語だけの毎日。

母親は定年を終えて再び再就職し、新しい勤務地で経験の無い仕事に就きマニュアルを覚えるのに必死で、追いつかず自分を呪い辞めようかと悩む毎日であった。
都会から来た人はだから駄目なのねと言われるのが悔しくて続いたようなものだ。

住む国が違いながらそれぞれ思い悩み辛い日々を送った。
悩むことは学ぶことであり、時間と共に環境に順応して行くものである。

息子は1年も経つと環境にも何とか慣れ、現地の勤務者とのやり取りも慣れ、いつしか当たり前の日常を送っている。

娘も苦難のアルジェリアの生活を終えて帰国した。
今信州で美しい環境に解け込もうとしている。

母も仕事には慣れてこれまでの長い都会での仕事と異なって
長野県の中での多くの人々に接することにより自分が役立っていると言う実感を味わっている。

1年の月日は短いか長いか、辛い最中は長いと思ったが、過ぎてみるとそれぞれ家族が次のステップに立っており、短い時間であったかもしれないと思うようになってきた。