HAPPY-GO-LUCKY!

E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

選ぶとゆーこと。

2009-08-20 11:22:31 | 国際・政治

「よろしくお願いいたしまーす」なぞと、やたらにぎやかな夏。

「政権選択」だの「責任」だのと、大騒ぎでございます。

 

 

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それぞれの大将は、麻生さんに鳩山さん。

 

旅立った金大中氏に比べれば、覚悟とか思想が見えにくい。

うーむ…

 

ただ、それでも鳩山さんは少し変わってきたかな。

1996年の初めての小選挙区選挙の際、彼、遊説にやってきた。

正直言って、存在感は希薄だったなあ、土井たか子なんかに比べると。

目に光がなく、ただ、穴が開いているって感じ。

何を考えているのかわからないってイメージで、

仲間内では「ネコ山」って呼んでいた。

 

その後、2001年ごろ。

彼、新橋で居酒屋をオープンさせたんだよね。

まあ、金持ちの戯れ事って感じもあったけど、彼なりのアピールだったんでしょう。

めちゃくちゃ安いこともあって、私も、同業者や民主党関係者とよく繰り出しました。

 

一度は鳩山さんも店にいて、われわれにお酌をしてくれた。

「地方組織は、『組織』の体をなしてませんよ」なぞと悪態をつく私たちに、

「大いに反省をしなくてはなりません」なぞと答えてたっけ。

感じは悪くありませんでした。

「ネコ山」から「いい人」に昇格した当時でありました。

 

で、現在。

金大中氏ほどの凄みは望むべくもありませんが、

それでも存在感は増してきた感じがありますね。

まあ、権力の修羅場をずっとくぐってきたんだもんね。

自民よりもむしろ激しい権力闘争があったわけだし。

さあ、どんな審判が下るのか。

そして、どんな政治が実現するのか。

かなり楽しみだよね。

 

 

で、激戦の夏。

ブランドに頼って入られません。

「変化」を求める風が吹いた時、むしろブランドが足かせだったりする。

 

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宮沢、竹下、橋本。

それぞれの「王国」も揺らいでいる。

 

これも1996年になるんだけど、

小選挙区制導入で、「大物、走る」ってベクトルの仕事をしました。

若かりし私は何のノウハウもなく、

「えいっ、ままよ」とばかり、宮沢喜一氏に直当たり。

各方面に叱られたのはもちろんですが、

それよりも小柄な宮沢氏の「迫力」にたじろいだ記憶が強く残ってますな。

 

お三方も故人。

当時はまだ、「ひょっとして苦戦するかも」ってレベルだったけど、

今回はもう白兵戦。

 

有権者は学習してます。

候補者も学習しなければなりません。

旧態依然のやり方では生き残れないことを、さてどれだけ分かっているのかしら。

 

一番大事なのは、「考えること」。

思考停止に陥らず、前例にとらわれず。

こと選挙に限らず、考えることは何よりも大切じゃないかな。

 

俺もじっくり考えようと思います。 


シンゾーさん…

2007-09-12 16:43:59 | 国際・政治

安倍総理が退陣表明。

うちの業界は大事件、事故があった際、フロアにチャイムが鳴り響くシステムだ。

なぜかその瞬間、「あっ、シンゾーさん辞めるんだ」って思った私であった。

まあ、それは勘としか言いようもないし、

後付けと言われても仕方ないんだけど、

やっぱりここ数日の安倍さんはおかしかったよね。

 

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やっぱ早過ぎた。

だって、まだ赤絨毯踏んで14年。

フツーだったら、まだまだひよっこだもの。

私も何度か話したり、取材をしてきたけど、

少なくとも官房副長官までは、

まったく緊張なく接することのできるセンセイの一人だったもんねえ。

 

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例えば2002年春、小泉改革一年ってことで、特集を作りますた。

その際、反小泉の頭領としてご登場願ったのが、亀井静香さん。

支える側が官房副長官の安倍さん。

で、当時の両者の力関係と言えば、もう段違い。

安倍さんとこは「うちのセンセイでいいんでしょうか」と及び腰だし、

亀ちゃんとこは「相手は安倍かぁ」と不満げ。

あたしゃ、間に入って木の葉のように揺れたもんです。

 

 

それ以外にも、国会議員座談会なんかに出て貰ったり、

時々、ネタがない時はインタビューしたりと、

便利なセンセイ扱いだったんだよなあ、ちょっと前までは…

 

 

 

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そんな威圧感のない方が、拉致問題で、

国家のトップにあれよあれよという間に上り詰めちゃった。

それが今となっては、不幸だったのかもね。

 

 

 

ただ、いつかは国を担うという思いはあったんでしょう。

それを感じたのは、これもまだ旧官邸の2002年ごろの話。

官房副長官室で、何やら話してました。

思い出せば、尾身氏やら高市氏からの電話に応対しながら雑談。

まあ和やかに話してたんだけど、安倍さんの表情が急に険しくなった。

なぜかと言うと、私が「小泉さんは…」と言ったから。

 

 

 

まあ、フツー官邸の中では、

政治家、職員、記者を問わず、ある種畏敬の念を含め「総理」と表現するわけです。

しかし、私のようなレベルの半端モノには、どうもくすぐったい。

「政治部さん」って意識も希薄だしね。

で、つい「小泉さんはですねえ」って口をついて出たわけです。

 

 

 

その時の、憤激すら感じさせる「眼」は忘れられません。

彼にとって見れば、「一国の総理はそんな軽いものじゃない」って思いだったんでしょう。

自分の究極の到達点と思っていたからこそ、

親父のなし得なかった夢だからこそ、

その辺の田舎記者の軽口が気に障ったんだろうなあ。

ただ、結局は、

その総理の座の「重さ」に押し潰されちゃったよーな気がします。

皮肉なもんだよね。

 

 

 

で、こんな辞め方をすると、かける言葉もありません。

「捲土重来」とかなんとかも言えないよね。 

まだまだ若いだけに、残酷な話です。

 

 

 

近く、週刊誌がスキャンダルを報じるなんてお話もあるよう。

今日がその回答期限だったとか。

その「破壊力」はともかく、すべてがイヤになっちゃったんだろうなあ…

一国の総理が「厭世観」で職を放り投げられても困るんだけどね。

 

 

 

それでもまあ、昔お世話になったお方です。

ご苦労様でした、総理

 


ハト派の伝言。

2007-06-29 14:15:56 | 国際・政治

宮沢喜一さんが亡くなった。

私の周りには、それなりの関係性を築いていた人間が何人かおり、

それぞれに様々な感情、感慨を抱いていたようだ。

私にも多少そういった思いがある。

「歴史」を体現した人って感じでしょうか。

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面と向かってお話ししたのは数度しかないが、

元総理はいずれも事務所のソファに深々と座り、よどみなく喋った。

サンフランシスコ講和条約とか、「キッシンジャーがねえ」とか、

歴史教科書の世界のお話が次々に繰り出されるのである。

英字新聞が無造作に机の上にある光景は、

「知の巨人」ってイメージを醸し出していた。

そんな宮沢さんで思い出すのは、森政権末期のこと。

官邸に招かれ、森総理から財務相続投を乞われた彼。

総理執務室から出てきた宮沢さんにみながぶら下がり、

受諾したかどうか尋ねるわけなんだけど、

彼は「そうした用向きの話はありませんでしたなあ」とさらり。

一路、公用車で財務省へ。

それでも念のために、と、走って追い掛けたのが当時の私(笑)。

で、財務省の玄関で、宮沢さんの口をついて出たのは、

「総理のお言葉でもあり、お受け致しました」。

おいおい、と(笑)。

この辺は解説が必要なんだけど、

要するに彼は、

いつも自分を追い掛けてくれている財務省担当記者(財研さん)に

花を持たせたかったんでしょう。

官邸で囲んだのは、

あくまでふだん付き合いのない官邸詰めの記者さんだから。

しかしながら、そんなに人が割けない私たちには、実に酷なお話でありますな(笑)

という風な、「情」の人(?)でもあった彼。

もちろんハト派の重鎮でもある。

ダチたちがその肉声を綴ったのがコレだ。

興味がおありの方は、ぜひご一読を。

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小泉さんが登場する直前、

わが世の春を謳歌してらっしゃったのが亀井静香さん。

常々、「俺はハトを守るタカだ」とおっしゃってました。今も言ってるけどね(笑)

それは多分に、同じ中選挙区でしのぎを削った宮沢さんを意識した言葉なんだけど、

聞いてるこっちには、かなーり響いてきた。

歴史を体現する元総理と、

その瞬間は現職総理(森さん)を差し置く存在で、次代の総理を狙う最高権力者。

それぞれの人生や価値観の交錯を感じる瞬間だった。

話しているうちに、どんどん位置エネルギーが下がり、

最後にはソファに横座りとなりそうになる宮沢さん。

時々、お行儀悪く、●●を掻く宮沢さん。

病み上がりで、心が折れかけた当時の私には、まさに「巨人」でありました。

ご冥福をお祈りします。