私の周辺の限られた範囲で語られる言葉がある。
「ビジネスカープ」
ファンではないんだけど、業務として関わるって感じ。
広島で暮らしている以上、よくあるパターンです。
その筆頭であったのが、かつての俺様。
2004年の球界再編騒動をきっかけとした新球場建設問題に携わることになり、以後、濃淡あれど2年間ほど、ずっぽりとこの球団に関わったのさ。
プロ野球音痴だったわけでもありません。
週刊ベースボールが毎週届き、時折カープ選手がご飯を食べに来る家庭で育ったからね。
まあ、この辺りはかなり「謎」な環境ではございますが(笑)
要するに、チョー鯉党の父親への反発が、小生をカープから遠ざけたのですな。
今思えば、すまぬ、ジジイ…
だから、仕事の上で、チームについていろんな情報も耳に入るわけですが、そこは基本的に興味ない。
あるとき、トップと球場問題を話し合っていた折、次期監督の話題となった。
「HAPPYMAN君、次は★★★★にしよう思うんじゃ。どうじゃろう?」ってトップ。
「申し訳ないけど、ボク、球場問題以外は興味ないし。担当に言うときまひょ」とつれないアタシに、のけぞるトップ(笑)。
まあ、もちろん特ダネにはしたけどね。ぷぷぷ
そんなこんなが2005年辺りかな。
「夢の器」って言葉を思いつき、書き始めたころです。
http://blog.goo.ne.jp/19960408/e/f1ab8f2ef0ab5315c3abb5b12897bb1f
当時、カープファンの大半が口を揃えたのが、「ヤード跡地になんか、誰も行かない!」。
球場建設場所の問題だよね。
「広島駅から遠い。15分なんて、みんな歩かない」「そもそもファンはJRなんかで集まらない」などに始まり、「カープは復興の象徴であり、平和公園に隣接する現在地こそが唯一の場所」などなど。
で、俺のスタンスは、「作るのが先決で、できれば必ずみんな集まる」でした。
とゆーのも、潜行取材をすればするほど、すべてのベクトルはヤード跡地へだったのさ。
ここで現在地に固執するとすべてがパーとなる。ならば、ヤードやむなし…。
ただ、説明責任はあるよ。そこはちゃんとやりなさいって感じだったかな。
だから必然的に「ヤード派」と目され、多くのファン、読者、あるいは社内からも批判を浴びるわけですね。
だけど、当時はホントにヤバかったのよ、カープって。
身売りの話もチョー現実的で、俺はその「ほぼほぼ現場」に立ち会ったことさえある。
だからこそ、広島のみんなの「夢の器」がほしかったんだよね。
こんなビジネスカープの俺でもさ。
で、少し転調するけど、ちょっと辛口のことも。
あの当時、現在地に固執していた方々にひとこと申し上げたい。
「今のボールパーク、貴方、貴女たちの目にどう映りますか?」って。
もっと言えば、「盲信って、思考停止に過ぎないと思いますが、いかがですか?」って。
これってすべてに当てはまると思うんだよね。
何が優先されるべきか、そしてそこに向かっていかに冷静に話し合い、判断するか。
この広島には今もいろんな問題があるけど、前提条件をまず疑い、合理的に、総合的に考えることが肝要だと思いますな。
そして、それを「ちゃんと」伝える。だって俺たち、プロなんだから。
ああ、すっきりした(笑)
話戻って、いろいろとカープをいぢることになると、さすがに気になる存在と変わってきます。
その後、「みんなのカープ」と題した仕事を、愛のないオトコ「ワッキー」とやり始めることになりました。
ワッキーなんて、野球すらしらない野郎w
そんなビジネスカープコンビだけど、さまざまに取り組みましたよ。うふふ。
球団がファンを表彰するってゆー前代未聞の試みである「ALL-IN大賞」の創設、実施もそのひとつだね。
毎回毎回、球団と財界、スポーツ界とマヂに議論を重ね、さまざまな取り組みをしてくれるファンを表彰。
MIXIを軸に東京で応援するファングループ、チーム名にカープを冠した少年野球チーム、そしてカープの生い立ちを学ぶ小学生たち…
今思えば懐かしいな。
犬トモさん「サンママ」の助けを借りて野球犬「ミッキー」を探しだし、特別賞をあげたのも楽しかった。
副賞に何をあげようかと審査委員みんなで悩み、「やっぱりドッグフードだよね」って。
飼い主さんに、彼の好みのフード名を聞いたのも、ついこの間のように思えるなあ。
そのころの心持ちはこんな感じかな。
みんなのカープ 市民球団 <1>
コイの街
一体の応援 元気生む
成績も観客動員も低迷し、元祖市民球団の看板が色あせていた広島東洋カープ。それが今、市民やファンの支えで、双方向のきずなを取り戻しつつある。もとより人々の暮らしに寄り添ってきたカープ。その「復権」は広島の元気にもつながる。市民球団再興の歩みと意義を考える。(HAPPYMAN、ワッキー)
九日の巨人戦、広島市民球場(中区)の二階席で、七百人を超す大応援団の歓声がはじけた。三次市から駆け付けたカープ観戦ツアーの一行だ。手作りの横断幕が風になびく中、初めて会った面々が世代を超えて団結。郷土出身の梵英心選手(25)らの応援に心を重ねた。
心束ねる存在
一昨年四月、周辺七町村と合併し、人口は旧市の一・五倍の約六万人になった。そんな新しい街の一体感をはぐくむため、市や商工会議所などが観戦ツアーを企画した。反響は大きく、当初の四百五十人の予定を拡大。行き帰りのバスの中では、カープ談義が弾んだ。事務局を務めた市観光商工室の古野英文さん(47)は「人々の心を束ねる、カープの存在の大きさを再認識した」。官民一体の取り組みは確かな成功を収めた。
球団を軸に地域おこしをはかる動きが広がりを見せている。庄原市は昨春、官民で「カープ応援隊」を結成。市民球場外野の年間指定席四十席を購入し毎試合応援に繰り出す。今年は球団グッズ売り場の一部を借り、地元産品の販売や観光地をPRし始めた。
二軍が本拠地とする岩国市由宇町や、地域の総合型スポーツクラブ「どんぐりクラブ屋台村」がカープと連携する広島県北広島町では、ウエスタンリーグの試合に合わせ、選手による野球教室やサイン会を開催。町内外から数千人のファンを集めるなど、地域に元気を呼び込むイベントに成長させている。
「地域との双方向の結びつきが強まってきた実感がある」とは、球団の関谷康地域担当部長(55)。「球団を愛してもらい、さらに、まちづくりにも一役買えるとは願ったりかなったり。協力は惜しみません」と意気込む。
若者にも「熱」
カープを愛するその一点で、市民や団体間での連携も深まる。カープフォーラムを協力して開いたり、野球人口の拡大に向けた新スポーツの体験会に取り組んだり。新たな「熱」が生み出されている。
例えば、カープを応援するソーラン踊りコンテストを開く特定非営利活動法人(NPO法人)コーチズ(児玉宏代表理事)の場合もそうだ。八月二十四日、市民球場隣の市青少年センターで開く大会に向け、準備を急ぐ。協力するのはカープファンの大学生たちだ。
ミーティングを重ね、イベントを練り上げていく若者の姿に、「広島を熱くしたいという気概を感じ、こちらも『もっといいイベントに』と刺激される」と児玉さん。「それも、カープという触媒がなければあり得なかった『化学反応』。やっぱり広島の財産なんですよ、カープは」
次回から社会面に掲載します。
2007年に書いたと思うんだけど、これって、朝刊一面だ。
マジだったんだな、俺たち。ワッキー、アンタもよく頑張った(笑)
そんなこんなを思い出す今日この頃。
25年ぶりのリーグ優勝まで、もうマジック1になりました。
昨夜、「今日決まるかな?」って、いろいろと動き回りました。
まずはいつもの重富さんへ。
赤いヒトたちが並んでました。
店内もカープモードだよね。
ちょっと早めのカンパーイ!
そしていったんころっけのお散歩に戻ります。
自宅で観戦!
カープは盤石だけど、阪神が…
マツスタでカープファンが掲げるプラカードが笑えます。
しかし、残念、阪神負けちゃって、この日の優勝はお預けだ。
まあ、25年待ってたんだから、一日二日ぐらいはいいよね。ぷぷぷ。
かくも盛り上がっている広島の街。
いたるところで赤いユニ姿が見られ、なんだか街全体が浮き足立っているみたい。
素晴らしいね、実に。
長々書いてきたけど、優勝までもうあとひとつ。
その瞬間がどんなふうなのか、この目に刻みたいと思います。
ビジネスカープの「心」はどう揺れるんだろう。
少し楽しみだな。