わが町自慢の公園で「萩のトンネル」が見頃を迎えている。
花の色も形も、目立たないが、細い枝に薄桃色と白の小さな花を沢山つける
姿は、控えめながらもたくましさを感じる。
子供の頃から親しんできた花だけに、思い出も多く愛してやまない花でもある
野山を駆け回っていた頃見た「萩」は、かくれんぼの格好の隠れ場所にもなる
程、一杯に花をつけた枝が重なりあって姿を隠してくれたが、かすかに感じる
風にも大きく枝を揺らし、隠れる私の鼻先やほほを撫で回すので、こらえるの
に必死だった。
思春期になって見た「萩」は、校庭の隅に置かれた壊れかけたベンチの脇で
話の糸口が見つからず、二人の揺れる心と共に大きく、小さく揺れていた。
青春時代に見た「萩」は、細い登山道の脇でススキとオシロイバナの鮮やかな
ビンク花の勢いに押されながら、控えめに枝をしならせて道行く人々の足元で
震えながら咲いていた。ひいきにしている薄桃色も色あせて花の終わりを告げ
る様に揺れていた。
人生の岐路に立ったときに見た「萩」は、満開の時期で、薄桃色と白の花をつ
けた枝が折り重なって咲き誇っていた。満月も過ぎ二人の気持ちも満ちていた。
あの時、あの人は何気なく白い花が好きだと云った。花屋の前を通り過ぎる時
も白い花がいいねと云ったり花の名前を知りたがったりもした。
あの時、私は特に反論はしなかったが心のどこかが揺れた気がした。小さい頃
から庭にあった萩の桃色の花を思い出していた。
冬囲いの為に父が容赦なくばっさばっさと枝を切るのを見て、来年は枝先まで
花を付けるのにと切り落とされた枝に思いをはせたものだ。
数年後の秋、人生の決断後に見た「萩」は公園の散策路の両脇に、桃花と白花
が交互に整理されて植えられていた。
私の好きな萩は自由奔放に枝を広げ、細い枝に沢山の花をのせて、風が通り過
ぎる度に枝を揺らし、花を愛でる人々へ何かを語りかけてくるような花達なのだ
が少し様子が違って見えた。自分自身の環境が変わった時期でもあった。
来る秋ごとに色々な気持ちで「萩」を見続けてきたが、特別美しい花ではないが
何故かいとおしく思えてならないのです。
何歳になっても、何かを求めて心ときめかせて揺れる私と重ね合わせているの
かも知れない・・
初恋は揺れたままで終わってしまいました。
恋愛は、タラレバになるけど、白に傾いて
いたら・・? 私はおばあさんと呼ばれる
様になっていたでしょぅか・・?
人生を託す人が断固と白を主張する事に
アイマイさを感じたょ、都合に合わせて
変身自在・・考えすぎだったね
感情移入して・・は私の十八番ですよ
ブログのテーマとしているのは、
見るもの、聞くものに対する自分の感情
を書いている積りです。
読む人はサラット流し読みして頂けたら
いいのですが・・・
日々の発見にときめきのタネが一杯ですよ
萩のトンネル抜けると元気もらえるでしょうね
>二人の揺れる心と共に大きく、小さく揺れていた
たまりませんねえ
私にはこんな思い出は無いので羨ましい
拍手ありがとうございます。
私は一輪だけで存在感をアピールする花も
好きですが、小花を沢山つけて仲間の力を
借りながらより一層綺麗に咲く花はより好
きです、いつもカメラの画面一杯に沢山の
花を撮ろうと欲張ります、マクロ撮りは
フェアじゃない気がするのです。
心躍るほどのときめきは無くても、何かしら
感じればいいのです。
あまりに素朴な花なので、見過ごされたまま
に朽ちて良い訳ありません。
満月頃を境に満開になるのは、自分も見て欲
しいと主張している気がするのですよ・・
ひいき目ですね・・
素敵ですね。
何かを求めて心ときめかせて揺れる
…ワタシもそんな気持を一生、持ち続けたいものです。
すごいです、今こういう言葉が出てくるのは。私も見習いたいです。
ともすればくじけて折れそうになるやわい心だけど、、やさしく強く生きたいと思っています。
萩の花を縦軸にした人生模様、半端ではない萩への心入れを感じました。
花を愛する心はお互いに終生持ち続けましょう。
ひとりの女性が萩のトンネルの下を歩き、
それがふたりになって、季節が変わり、
そしてまたひとりの女性が見えてきます。
とてもしみじみとした雰囲気に、ため息が漏れました。
心の中にいつまでも残しておきたいですね。