迷える羊のメモ帳

こんな言葉 あんな花に癒されて生きる

メモ帳148ページ目 健康診断       

2011-09-29 15:49:28 | 日記
今日は健康診断に行って来た。
今までに病院とは無縁の生活をしてきたので、我ながら立派な身体の
持ち主だと自負してきた。

しかし、ここ数年は年一の健康診断をやたらと心配するようになった。

自覚症状の無い病魔が巣食っていたらどうしょう・・か
要指導を受けていた中性脂肪値が増えていない・・か
今年は甘味を食べ過ぎていた気がするので、血糖値が上がっていない・・か
この夏の暑さで、5000歩目標の散歩も怠けてしまい、へそ周りが太くなって
いるのはジーンズが教えてくれた、確実に体重が増えてしまった。
愚にもつかぬ事で心配する事こそ病気の兆候があるの・・か

思い切って先生に伺ってみた。

大丈夫ですよ、歳相応の不安感ですね、とあっさり結論を出されてしまった。
心配のあまり良く睡眠出来ないとなると大変ですので、その時は投薬治療も
ありますので、全く心配はありませんね・・・だってさ

暫定ではあるが、胸部X線 心電図 内診には異状がないので、血液検査の
結果を待ちましょう、全ての結果が出る頃には、不安感もなくなるでしょう
と言う・・まさにその通りである、診断が終わった途端、気分爽快で焼肉
ランチを食べに出かけた。

健康診断を受けることは、早期発見、早期治療に役立ちますと受診を促す
パンフの一部ににこんなのがあった、何処かが変だなぁ~と思うのだが・・?


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メモ帳147ページ目 スポーツの秋       

2011-09-26 09:28:59 | 日記
台風の後遺症がまだまだ癒えてはいないが、厳しい残暑は影を潜めて
熟睡が出きる様になった。



スポーツの秋到来、昨日は多少気温は高いが、爽やかな秋空である。
スポーツと言っても、プレイを楽しむ人と観戦を楽しむ人に分かれる。
今は、友人とプレイを楽しむ事はできないので、休日は散策で身体を
動かす様にしている。

お友達が、長年続けている卓球の試合に挑戦するので応援に出かけた。

卓球は簡単に始められるからと何度も誘われたが、室内競技には興味
が湧かないと共に、我が友ではあるが勝敗に対するこだわりが気にいら
ないのである。勿論勝つ為の努力も怠らないが、そろそろ高齢者なのだ
から、若い人に花を持たせる方が気楽でもっと楽しむ事が出来ると思う
のだが・・彼女は簡単に諦めそうにない。

試合開始から勝ちを意識しすぎるせいか、動きに精彩を欠き1セットから
劣勢を強いられたが、終盤はなんとか持ち直し、11点先取で勝ちを得た。
3セットの中盤からは、慰めの言葉を考え出した私は薄情な友でる。

中高年者のプレイ人口が多い卓球はアスリートスポーツというより、身体
を動かし楽しむレクリエーションスポーツとすれば勝ち負けにこだわらず
に済む。競い合って向上心を駆り立てる指導は若者へは通用しても中高年
には無理があると思う。

彼女も私も、競争社会の中で、散々その悲哀を実感して来たはずなのに・・
彼女は、計画、立案、実行力に群を抜くポジティブ思考の持ち主だっただ
けに、引き際が見つからないのかもと考えてしまう。
如何なる事においても競い合いは、真っ平ご免の私である。

体育館で行われていた他のスポーツも観戦して楽しんだ
スポーツの秋に、スポーツ付けの1日を過したが、観戦って疲れるものですね。
    
空手          バスケット        柔道           男子卓球

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メモ帳146ページ目 萩       

2011-09-22 07:48:57 | 日記

わが町自慢の公園で「萩のトンネル」が見頃を迎えている。
花の色も形も、目立たないが、細い枝に薄桃色と白の小さな花を沢山つける
姿は、控えめながらもたくましさを感じる。
子供の頃から親しんできた花だけに、思い出も多く愛してやまない花でもある

野山を駆け回っていた頃見た「萩」は、かくれんぼの格好の隠れ場所にもなる
程、一杯に花をつけた枝が重なりあって姿を隠してくれたが、かすかに感じる
風にも大きく枝を揺らし、隠れる私の鼻先やほほを撫で回すので、こらえるの
に必死だった。

思春期になって見た「萩」は、校庭の隅に置かれた壊れかけたベンチの脇で
話の糸口が見つからず、二人の揺れる心と共に大きく、小さく揺れていた。

青春時代に見た「萩」は、細い登山道の脇でススキとオシロイバナの鮮やかな
ビンク花の勢いに押されながら、控えめに枝をしならせて道行く人々の足元で
震えながら咲いていた。ひいきにしている薄桃色も色あせて花の終わりを告げ
る様に揺れていた。

人生の岐路に立ったときに見た「萩」は、満開の時期で、薄桃色と白の花をつ
けた枝が折り重なって咲き誇っていた。満月も過ぎ二人の気持ちも満ちていた。

あの時、あの人は何気なく白い花が好きだと云った。花屋の前を通り過ぎる時
も白い花がいいねと云ったり花の名前を知りたがったりもした。

あの時、私は特に反論はしなかったが心のどこかが揺れた気がした。小さい頃
から庭にあった萩の桃色の花を思い出していた。
冬囲いの為に父が容赦なくばっさばっさと枝を切るのを見て、来年は枝先まで
花を付けるのにと切り落とされた枝に思いをはせたものだ。

数年後の秋、人生の決断後に見た「萩」は公園の散策路の両脇に、桃花と白花
が交互に整理されて植えられていた。
私の好きな萩は自由奔放に枝を広げ、細い枝に沢山の花をのせて、風が通り過
ぎる度に枝を揺らし、花を愛でる人々へ何かを語りかけてくるような花達なのだ
が少し様子が違って見えた。自分自身の環境が変わった時期でもあった。

来る秋ごとに色々な気持ちで「萩」を見続けてきたが、特別美しい花ではないが
何故かいとおしく思えてならないのです。
何歳になっても、何かを求めて心ときめかせて揺れる私と重ね合わせているの
かも知れない・・










コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メモ帳145ページ目 海に思う       

2011-09-19 08:29:55 | 日記

最近ギラリーで海の写真の投稿をよく目にする。
あの大海原と果てしなく続く地平線、真っ青な海の色、そして磯の香りまで
魅力がある。唯見ているだけで、心が落ち着いてくる。
私は海とは無縁な土地で生まれ育ったせいか、海に対する憧れが強かった。

大人になったら素敵な彼氏と手をつないで浜辺を散歩したい、オープンカー
で海岸線を何処までもドライブしたい、真夏の海原を泳ぎまわって全身海の
色に染まりたい、なんてロマンチックな事ばかり考えていた頃もあった。

夢去りし今振り返ると情けないというより大笑いしてしまう。
家族を作らなかった私は、手をつなぐ相手はいないし、23歳から車を運転して
いるが隣はいつも空席だった、おまけに45歳になって4泳法を覚えたが海で泳
ぐチャンスはこなかった。人生とはこんなものかと思いつつ、あとは残された
命の永らえ方を学ぶしかないのか・・と羊に問うが迷える羊からの答えは無い。

誰でも広々とした大海原、真っ青な水、打ち寄せる白波、足裏をくすぐる砂の
感触は忘れがたい思い出になっているが、今年の東北の海は思い出すには
辛すぎる。あの日、多くの尊い命を飲み込んでいった海に向かって、何万人の
人達が家族を返して、父を母を、わが子を返してと叫んだ事だろうかと思うと
切なくなる。
穏かな海がもたらす幸福、牙をむいた海の恐怖は背中合わせの関係にある
ようだ。今年の東北の海は涙色であるとしても、少しずつではあるが、復興さ
れつつあり、再び昔の海の色が必ず戻って来ると信じ、希望を持ち続けて欲し
いもです。
CDデッキに「誰もいない海」を挿入した、爽やかな声が流れてきたが、この曲
って、こんなに淋しい歌詞だったのかと改めて聴き入った。

今はもう秋 誰もいない海      
知らん顔して人がゆきすぎても          
わたしは忘れない
海に約束したから          
つらくても つらくても
死にはしないと

今はもう秋 誰もいない海
たったひとつの 夢が破れても
わたしは忘れない
砂に約束したから
淋しくても 淋しくても
死にはしないと

今年は残暑が厳しく、今はもう秋・・なのに今日も暑い予報である。



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メモ帳144ページ目 初秋       

2011-09-15 15:50:12 | 日記
9月に30度越えの夏日に悩まされるのは、もう勘弁してほしい。気象予報士は、
来週から気温が下がり、しのぎ易い日がくるとの予報を伝えている。
「暑さ寒さも彼岸まで」連休明けは彼岸の入り、暑さが和らぐのに期待したい。


多摩川沿いの遊歩道で虫取り網で、トンボ捕りに走り回っている少年の姿を
久々に見た気がする。今は昔と違い、子供の時から成果主義が求められ、
「自分さえよければ・・」という自己中心的で周りとの気持ちが通じあわない
変に大人びた子供が目に付く中、この少年に出会い、自分の気持ちのどこか
でほっとした。狙い定めていた赤トンボに逃げられて、通り過ぎる電車の轟音
に立ち尽くしていた。
残念そうにしている少年に、あそこにバッタとセミの抜け殻があるよと云うと
嬉しそうに駆け出して行った。
 

私は子供の頃からおてんばであったが、幼虫、毛虫、虫類が大嫌いだった。
走り回って遊んでいても、嫌いなものはすぐ目に飛び込んでくる、目にした途端
脚がすくんでしまい、口数が少なくなるので友達に馬鹿にされた。
いまだに気味が悪く好きになれない。最も嫌いな毛虫を見た日は夢にまでみる
しまつである。
最近は、無農薬野菜を買うようにしているが、特に葉物を開く時は、ドアの外で
調べてから部屋に持ち込んでいる。


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする