外界と調和できない青年が擬似的な父親と出会い、親交と離反を繰り返す。
これは、いままでにもあったシチュエーション。
出発点ではこの関係が。
苦しむ獣のような青年が、新興宗教の教祖と出会い、親密な交流をはじめる。
この映画には際立った特徴がある。
この作品は、ストーリーまでもが捨てられているかのような印象を与える。
それを補うのは鮮烈な映像と俳優の力の強さのみ。
これで、映画を引っ張る。
フェニックスとホフマンのしつこい組み打ちは相当に凄い。
どこが凄いかというと、両者はまじわらない。
誤解と理解を重ねてたがいに成長するという事などには眼もくれず、徹底して一方通行の関係を貫く。
これはきわめて特殊な化学反応だ。
蜜月は短く離反は長い、という常套句ではなく、延々とつづく無理解のはざまにときおり親密さが紛れ込む状況を想像していただきたい。
その気配が珍しい。
観客に共感を求めない。
観客も、感情的には映画にリンクしづらい。
かかわらず、映画の残像は脳裡から消えない。
主人公ふたりの摩擦も、眼と耳に残りつづける。
これは、いままでにもあったシチュエーション。
出発点ではこの関係が。
苦しむ獣のような青年が、新興宗教の教祖と出会い、親密な交流をはじめる。
この映画には際立った特徴がある。
この作品は、ストーリーまでもが捨てられているかのような印象を与える。
それを補うのは鮮烈な映像と俳優の力の強さのみ。
これで、映画を引っ張る。
フェニックスとホフマンのしつこい組み打ちは相当に凄い。
どこが凄いかというと、両者はまじわらない。
誤解と理解を重ねてたがいに成長するという事などには眼もくれず、徹底して一方通行の関係を貫く。
これはきわめて特殊な化学反応だ。
蜜月は短く離反は長い、という常套句ではなく、延々とつづく無理解のはざまにときおり親密さが紛れ込む状況を想像していただきたい。
その気配が珍しい。
観客に共感を求めない。
観客も、感情的には映画にリンクしづらい。
かかわらず、映画の残像は脳裡から消えない。
主人公ふたりの摩擦も、眼と耳に残りつづける。