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地球規模での破壊をうながす映画界の終末ヒロイン、もとい終末仕掛人である氏の諸作は「パニックもの」「デザスターもの」という狭義ではなく「エメリッヒもの」という新ジャンルを定めないと、いつもの超絶なまでのハッタリ感や「あらゆる厄災ひとまとめ!」みたいな豪快さを形容できない。
その異常ともいえる大々スケールの崩壊絵図は、もはや宇宙人や神様のせいにでもしないと成り立たないのだ。
それが続編ものを頑なまでに手がけなかった、破壊王エメやんの心変わりを発動させたのかもしれない。
1996年の「インデペンデンス・デイ」以降、フィルモグラフィを重ねて崩壊描写のスキルを自発的に上げてきたエメやんにとって、エイリアンの再侵攻は願ってもない大義名分だ。
事実、今回の続編「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」は、劇中のどの破壊をとっても、これまでの映画をはるかに凌駕している。
特に質量を実感できないほどの超巨大マザーシップが、摩擦の炎に包まれながら大気圏内を突入してくる場面や、同機の内部重力で地表のありとあらゆる建造物やランドマークが持ち上がり、それらが一斉に落下してくる地獄の様相は「あ、人類マジで終わった」感をひしひしと感じさせ、破壊王の面目躍如といえるだろう。
また同時に本作は、地球人が勝利を手にした20年間に及ぶ世界観の推移や発展、レガシーの数々を、飛躍せず丹念に描いていて違和感がない。
敵の科学技術で防衛網を強化した人類の、新型兵器や迎撃システム類などは機能美と創意にあふれ、見飽きることがない。
前作のキャストが数多く顔を見せることも、先に述べた感慨への強い後押しとなっている。
大状況的なドラマとは真逆な細心さをもって、映画は作り込まれているのだ。
そしてなおかつストーリーも、単なる「人類VSエイリアン」という単調なものではなく、さらなる大きな存在や陰謀がその外側を取り囲んでおり、胸躍るようなワールドの拡張がなされている。
いっぽうで、政治家や学者、軍人のみならず、市井の人々やハミ出し者たちが戦いに貢献する群像劇の構造や、火球がもりもりと都市を焼き尽くす「炎の壁」の意匠、あるいはエイリアンを素手でぶん殴るなど、本作は約束を随所で死守。
前作を知らない世代にシリーズを啓蒙しつつ、オリジナル世代への目配りがしっかりと図られている。
時節がら、地球崩壊というワードに顔をしかめたくなる人もいるだろう。