
ダルトン・トランボもその一人である。
そんな不憫な世の中の時代に偽名でシナリオを量産し続けた不屈の脚本家の生涯を多彩なエピソードを交えながらの映画に仕上がった。
トランボの周辺には反共プロパガンダのジョン・ウェイン、コラムニストのヘッダ・ホッパー等の圧力が有り、共産→民主への転向を余儀なくされるエドワード・G・ロビンソン。
そして後半では、アクの強い救世主としてカーク・ダグラス、オットー・プレミンジャーらが次々に実名で登場する。
実録としてのリアルさが満載である。
当時の非米活動委員会でのハンフリー・ボガートやローレン・バコールのこわばった表情が時代の空気をあざやかに伝える。
あるいは、名誉復権の烽火となった「ローマの休日」と「黒い牡牛」のオスカー受賞の瞬間のニュース映像と、TVでその模様を満足げに家族で見入るトランボが接合されるシーンは、実録ドラマの模範的な語り口が示されている。
〈赤狩り〉はアメリカ映画史に、決して消え去ることのない深い傷痕を刻み付けたが、「トランボ」は、ラストのスピーチが体現するように、硬直したヒロイズムや安易な被害者意識からも解き放たれた〈赦し〉の感覚が充溢している。
それはハリウッドが自らの歴史を成熟した眼差しでとらえ返せる段階に達したことを明かしてもいる。