今年は順位を決めずに、良かった作品だけをピックアップしました。
長期休暇のレンタルDVDのご参考に伝されてください。
「ラ・ラ・ランド」
オーディションに受からない女優志望と売れないジャズマンが繰り広げるラブストーリー。
ただ、すんなりハッピーとならないチェザーレの映画には「悲」や「哀」がある。
現実生活や公言した夢を叶える為に、自分が本筋とはしていない音楽嗜好の売れ線のバンドに加わる。
方や、何度もオーディションを落ちたことで俳優としての才能の限界を感じる。
ほとんどの人生が妥協を突きつけられ、「夢」と「現実」のはざまで揺れる心情が切なさをかきたてる。
そして恋愛。 お互いの高揚した気分の浮き沈みのタイミングがすれ違い、恋の行方を微妙に左右する。
映画的にはハラハラさせられ、また胸をキュンと。 冷めた目で見れば現実はこんなもんだと。
かなった夢とかなわなかった夢。 逃した幸福とつかんだ幸福。
本心の二人の理想が走馬燈のようにかけめぐるラスト15分。
ミアの後悔や懺悔にもとれる表情、それに小さくうなずくセブの姿に、過去も現在も未来も「僕たち二人に間違いや後悔はないんだよ」と言う、やさしさを見た。
「メッセージ」
多くの人は事実であるか?無いか?に係らず一貫して流されている情報が真実だと理解している部分が見受けられる。
アメリカ大統領、北朝鮮首席、テロの頻度、幽霊など色々。
実は事実とは異なる真実、その「ありきたりの」イメージ。 この映画を見る前の宇宙人や宇宙船もそうなのかも。
ふつうは好戦的な人類が自国や地球を侵略の危機から救い、「地球万歳!」我々は結束すれば強いのだ!的なものが多かった中に、母性のような開かれた心と寛容性を持って接する地球人を新鮮に感じる。
敵意や攻撃心、恐怖心を持つことなく、幼い子供たちへ抱く好奇心にも似ている。
この映画には「ヒーロー」はいらないのだ。
そしてそれが現代社会の状況を風刺する政治的なディメンションをも、もたらしている。
人類に対する考察、そして人間が生きることの意義に関する深遠で哲学的なまでの問いかけは、スタンリー・キューブリックに匹敵するのかも。
「プリズナーズ」「ボーダーライン」等の過去の本作品の監督作にも興味を持ってもらいたいし、次回作「ブレードランナー 2049」への期待が高まる。
感覚と知能の双方を刺激する体験に満ちた作品である。
「愚行録」
まずは予告編の時点で「オフィス北野」が制作にかかわっているのが気になった。
オープニングから昔の東欧映画やフランス映画でも見るような独特の沈鬱な色調...スクリーン全体の色合いや、とらえ方に深く魅了される。
この冒頭のシーンで主人公の乾いた悪意のある不穏な仕草が最後までまとわりつく。
ここですでに主人公の生態を感じ取っておくべきだった。
感情の起伏が感じられない空気感。 一つは主人公の終始、無表情な取材と探索。 二つは育児放棄で逮捕された妹の妄想にも似た語り口。 それぞれの抱える裏の顔や、ねばりつく黒い悪意。 プラス大学時代の陰湿なカースト。
どのインタビューも共感を拒む自己顕示欲。 卑小な俗物であり、誇大表現された、現存する現実、人物。
感傷や情緒を排除し、優しさや思いやりとは無縁な詳細な人物や場面設定。
それがさらに悪夢的な世界に仕上げている。 理不尽で残酷な真実へと突き進む。 それぞれが抱えた、それぞれの過去の愚行。 多くの不条理がシンクロする。
「永い言い訳」
本音。 普通なら表に出すことはないだろうと思えるブラックな本音。
100%その方向の気持ちになれて、そう思えるのか?
わずかながらも、正反対の考えを持っているのではないか?
ある、一線を越えたことのない人にとっては、それは越えられることのできない「本音」という世界かもしれない。
亡くなった妻から残されたダイイング・メッセージ。
「なぜ父ではなく母なのか」と吐露する少年のわずかながらの本音。
冷え切った関係だった夫婦。
涙さえ流れなかった妻との別れ。
共感ではなく、「こんなふうに考えてしまう人間」の脆さや愚かさを決して否定しない、それをも見つめてもらえる優しいまなざしがある。
今までの行いを恥じようとも、反省しようとも、誰にどう償ってよいかわからない贖罪の道。
むしろ妻への冷たさや、浮気ですら責め立ててほしい。
謝る機会も、許してもらえる機会も永遠に失い、罪悪感の落としどころが見つからない。
ベビーシッターを始めたことで気づいた自分。
泣くこと、忘れることの大切さを人に諭すことで、それができない自分の内面にも気づく。
自転車で登り切った坂道での達成感、伸ばしっぱなしの髪の毛。
10あるうちの1は気づいたかもしれないが、残りの9はこれから気づくこともあるのだろう。
それがこれからの彼にとっての贖罪なのかもしれない。
「22年目の告白」
演技がうまいと思っている役者が集合した。
①藤原竜也
演技が上手だと思う。
蜷川幸雄という演出家の指導により開花し、その後は独自の世界が広がった。
蜷川色と言うよりは彼に捉われることなく、独自の演技をしている。
ただ独自の藤原世界で演じると、どんな役を演じても同じように見えてしまう時もある。
それは次回に何か作品に出演しても演技が予測できてしまうから。
さらに切磋琢磨されることであろうから、さらに演技が磨かれ、自身を保ちつつ、新しい作品の世界観をみせてもらいたい。
②最近、伊藤英明
は、作品の世界観によって全く違った演技をすると思う。
汗臭い熱血漢から気持ちの悪い役柄まで。またまたコミカルなキャラクターも。
この映画でも武骨で不器用な男が内面に苦悩を押し込めているのが分かった。
話は江戸川乱歩の小説のように真相が読めず、筋を外しそうで本筋に戻る。
しかし今は2017年である。
街頭インタビューやテレビでのニュースのシーンに加え、ニコニコ動画風に画面上に視聴者のSMSメッセージが流れるシーンや、SNSで情報が拡散したり、またニュースでは知りえない情報がSNSから得られるというのも現代社会のメリットでありデメリットでもある。
そんな2017年のネット社会で起きた事件としての設定でもある。
ネット社会の情報で真偽が確定しない中での、情報ではなく”噂”として、拡散していることにも警鐘を鳴らしているのには共感が得られた。
「ダンケルク」
戦史の結果はわかっている。 ダンケルク撤退戦もそのひとつ。
第二次大戦の初期、フランス北端の浜辺に追いつめられた連合軍兵士の脱出劇。
詳しくない人でも、結果は知っているはず。
では、この撤退劇の何を映画にするのか。
何を見せるのか?何かを感動にするのか?感動と言う共感をフィクションで作り上げるのか?
実史を知らないと、矛盾はいくつも生じる。
ドイツ軍は、どこにいるのか。 ドイツ軍の空爆はなぜ散発なのか。 連合軍は、なぜ救援に来ないのか。 港はなぜ使えなかったのか。
今となっては答はすべて明らかなのだが、当時、浜辺に逃げ込んだ40万の兵士たちは暗中模索。
自分たちは、なにをしているのか。どうすれば苦境を逃れられるのか。 何をするのが今はベストなのか?
見る者をそういった視線に投げ込まれる。
兵士も観客も、先は読めない。 危機が迫っているのは確かに分かっているのに、あいまいな戦況、不確実な情報しかもたらされない。
自分は何を変えるべきなのか? 嘆いたり、泣いたり、無駄なことをしている暇なんてこれっぽっちもない。
感傷も苦悩も意味を持たない。 一時の安堵も許されない緊迫した時間が流れる。
そして最後まで安堵を許さなかったものが生き残る。
かすかな希望は小舟、民間船。 たった1機大空に残ったロールスロイスエンジンの戦闘機。
静かだが、信頼できる勇気。 死が身近に感じる暗黒の世界で、ちっぽけな存在が生きるという希望に勇気を与えた。
「三度目の殺人」
普通に事件が起こり、二転三転する動機に翻弄される。
サイコパスと民度の高い常識人との葛藤。
そこから主人公までもがサイコパスへと変貌を遂げてしまう。
予告編を見る限りの僕の想像の筋はこれだった。
が、しかし...
光と陰影。 真っ白な雪の北海道。 強い朝日の白光の中に小鳥のさえずり。
話が進むにつれ「実は似た者同士」の二人が浮かび上がり、それが重なり合う。
二人が共感したかは定かではないが、接見の場面で意図的に重なり合う二人の表情のカメラワークに、善と悪の代表人物でありながら、時によっては善と悪が逆転するのではないかとさえ錯覚してしまう。
是枝ダークサイドとも取れる作品である。
「女神の見えざる手」
銃社会の憂鬱。
米国で最悪の事件が起きた今月。
タイムリーな公開となってしまった「女神の見えざる手」。
本国では公開されないとのうわさと、欧州系の映画配給会社と言うのもミソ。
命が奪われる悲劇を繰り返し、でも銃規制は何故進まないのか。
そんな現実にに迫るジャーナリスティックなドラマ。
特定の団体の利益をはかるため、議員に働きかけて議会での立法に影響を与え、マスコミや世論も動かすロビイスト。
主人公は名の知られた敏腕ロビイストだが、所属する大手ロビー会社が銃擁護派団体と組むことに反発。
部下を引き連れ小さなロビー会社に移籍し、銃規制法案を可決させるべく奔走する。
愛らしい役の前作のチャスティンよりは、クールなチャステインの方がカッコいい。
「ゼロ・ダーク・サーティ」のCIA、「インター・ステラー」の科学者。
男に媚びず甘えず、強靭な信念で職務を全うする。
常に戦闘服とメークに身を包むのは、すり減らした神経ともろい心を守る鎧にも見える。
聴聞会のシークエンスから法案をめぐる攻防と行き来する構成が緻密な組み立てと衝撃的な展開の連続で先を見たくてワクワクする。
やはり強い女性が描かれる映画は好きだ。
「バリー・シール」
題材に適した映像の質感、テンポ、語り口、色味を劇中に見い出す。
そんな意外性なオープニングで始まる作品。
本作は社会派とコメディの間を心地よく駆け抜ける快作。
ことは1978年。
レーガン、ノリエガ、クリントン、ブッシュを始め、時代の顔が次々と浮上する中に負けず劣らずはトム・クルーズの笑顔。
相手は政府や捜査機関、麻薬カルテル、反乱軍。
その中での綱渡り的な人生をタフで彼そのモノの人間味で乗り切る。
各国の情勢をめぐる複雑な相関図。
70~80年代のテレビ番組やCM。
家庭用ビデオカメラのテイストなども織り交ぜ、時代特有の質感を創り出している。
ローラーコースター的な娯楽性のみならず、時の政権の愚かさを
「アトミック・ブロンド」
ColdWar、CoolSpy。
東西冷戦が氷解する直前のベルリン。
主人公はMI6のミッションを遂行する諜報員。
目的は消えたスパイリストの奪還。
今やデジタルツールに主流の世の中、ジェームズ・ボンドは例外として、人間の肉体そのものが機能する場所を失った時代に、これ程スパイアクションに適した時代設定はない。
ポイントはその諜報員が女性。
世界中で暗躍するスパイの名が記されたリストを奪い返すため、ヒロインがこれから崩れゆく壁に隔てられた東西ベルリンを往き来する。
信用できないMI6支部員、KGBやフランスの諜報機関、そしてCIAまで。
誰が味方で誰が敵か。
当時のベルリンのウォールペイント、原色のネオン、ディスコ、シャンデリアや裸婦像が配置されたバー、そして時代のBGM、そんなデカダンな時代。
最近何かとセクハラプロデューサーで話題の男社会。
そんなハリウッドでアクション女優として機能し続けるシャーリーズ・セロンならではの作品。
「ドリーム」
名作「ライトスタッフ」で描かれた、アメリカ宇宙開発史に残るマーキュリー計画には、知られざるヒーロー?ヒロインたちがいた。
ヒロインなので当然女性で、有色人種。
埋もれていた歴史秘話。
宇宙開発競争に火がついた’60年代の初頭。
NASAでは、ずば抜けた数学的才能をもつ3人の黒人女性が働いていた。
しかし人種分離政策がまかり通っていた時代。
計算(当時のコンピューター)係の女性も、管理職の仕事をこなす女性も、エンジニア志望の女性も認められず、仕事の妨害を受ける。
だが彼女たちは屈せずに闘う。
理不尽な状況に耐え、ライトスタッフを行うことで心を、社会を動かす。
黒人で女性という2重の差別にさらされた彼女たちの無念や悔しさはよく分かる。
でも暗い気持ちにはならない。
3人が誇り高くチャーミングな上に、劇中テンポ、小気味いいセリフがキマっているから。
珈琲を飲むシーンやトイレへ駆けてゆくシーンもそうだ。
正当な権利を求め、裁判所で白人男たちを説得するセリフは心に残る。
これはアメリカの有能な黒人女性たちが黒人女性にとっての「初めて」をいくつも開拓し、道を作った物語。
アメリカが過ちを正し、前へと進んだ物語。
まさに白人の目から鱗が痛快。
「ブレードランナー2049」
西暦2019年のロサンゼルスを舞台に、逃走したレプリカントと、追うブレードランナーとの模様を描いた前作から32年。
SFでありながらフィルムノワール。
そしてハードボイルドなタッチ。
映像に、こだわりを、そして創造した退廃的未来の壮観さは、現実味の感じる未来として、SF映画独特の架空のイメージを一新させた。
”いち人間として”の模索をし、生きながらえてきたレプリカント。
32年と言う歳月の中に、製作に携わったタイレルをも予想にしなかった進化が果たされていた。
人、人造人間、時代、環境。
わずかながらも光が差す自分の未来を想像し、一つ一つのピースをつなぎ合わせる。
心の流れや現実に起きている時間の経過を、抒情詩でありながら、ある時は激しく、ある時は穏やかに、まるで壮大な大曲をオーケストラが奏でるようにストーリーは進行する。
普段、人間である我々が考える「やさしさ」「憎しみ」「愁い」
行く末と、来るべき変化に向き合いながらも、丁寧に、もたらされてきた数々の疑問にドゥニ・ビルニューブは回答を与えていく。
長期休暇のレンタルDVDのご参考に伝されてください。
「ラ・ラ・ランド」
オーディションに受からない女優志望と売れないジャズマンが繰り広げるラブストーリー。
ただ、すんなりハッピーとならないチェザーレの映画には「悲」や「哀」がある。
現実生活や公言した夢を叶える為に、自分が本筋とはしていない音楽嗜好の売れ線のバンドに加わる。
方や、何度もオーディションを落ちたことで俳優としての才能の限界を感じる。
ほとんどの人生が妥協を突きつけられ、「夢」と「現実」のはざまで揺れる心情が切なさをかきたてる。
そして恋愛。 お互いの高揚した気分の浮き沈みのタイミングがすれ違い、恋の行方を微妙に左右する。
映画的にはハラハラさせられ、また胸をキュンと。 冷めた目で見れば現実はこんなもんだと。
かなった夢とかなわなかった夢。 逃した幸福とつかんだ幸福。
本心の二人の理想が走馬燈のようにかけめぐるラスト15分。
ミアの後悔や懺悔にもとれる表情、それに小さくうなずくセブの姿に、過去も現在も未来も「僕たち二人に間違いや後悔はないんだよ」と言う、やさしさを見た。
「メッセージ」
多くの人は事実であるか?無いか?に係らず一貫して流されている情報が真実だと理解している部分が見受けられる。
アメリカ大統領、北朝鮮首席、テロの頻度、幽霊など色々。
実は事実とは異なる真実、その「ありきたりの」イメージ。 この映画を見る前の宇宙人や宇宙船もそうなのかも。
ふつうは好戦的な人類が自国や地球を侵略の危機から救い、「地球万歳!」我々は結束すれば強いのだ!的なものが多かった中に、母性のような開かれた心と寛容性を持って接する地球人を新鮮に感じる。
敵意や攻撃心、恐怖心を持つことなく、幼い子供たちへ抱く好奇心にも似ている。
この映画には「ヒーロー」はいらないのだ。
そしてそれが現代社会の状況を風刺する政治的なディメンションをも、もたらしている。
人類に対する考察、そして人間が生きることの意義に関する深遠で哲学的なまでの問いかけは、スタンリー・キューブリックに匹敵するのかも。
「プリズナーズ」「ボーダーライン」等の過去の本作品の監督作にも興味を持ってもらいたいし、次回作「ブレードランナー 2049」への期待が高まる。
感覚と知能の双方を刺激する体験に満ちた作品である。
「愚行録」
まずは予告編の時点で「オフィス北野」が制作にかかわっているのが気になった。
オープニングから昔の東欧映画やフランス映画でも見るような独特の沈鬱な色調...スクリーン全体の色合いや、とらえ方に深く魅了される。
この冒頭のシーンで主人公の乾いた悪意のある不穏な仕草が最後までまとわりつく。
ここですでに主人公の生態を感じ取っておくべきだった。
感情の起伏が感じられない空気感。 一つは主人公の終始、無表情な取材と探索。 二つは育児放棄で逮捕された妹の妄想にも似た語り口。 それぞれの抱える裏の顔や、ねばりつく黒い悪意。 プラス大学時代の陰湿なカースト。
どのインタビューも共感を拒む自己顕示欲。 卑小な俗物であり、誇大表現された、現存する現実、人物。
感傷や情緒を排除し、優しさや思いやりとは無縁な詳細な人物や場面設定。
それがさらに悪夢的な世界に仕上げている。 理不尽で残酷な真実へと突き進む。 それぞれが抱えた、それぞれの過去の愚行。 多くの不条理がシンクロする。
「永い言い訳」
本音。 普通なら表に出すことはないだろうと思えるブラックな本音。
100%その方向の気持ちになれて、そう思えるのか?
わずかながらも、正反対の考えを持っているのではないか?
ある、一線を越えたことのない人にとっては、それは越えられることのできない「本音」という世界かもしれない。
亡くなった妻から残されたダイイング・メッセージ。
「なぜ父ではなく母なのか」と吐露する少年のわずかながらの本音。
冷え切った関係だった夫婦。
涙さえ流れなかった妻との別れ。
共感ではなく、「こんなふうに考えてしまう人間」の脆さや愚かさを決して否定しない、それをも見つめてもらえる優しいまなざしがある。
今までの行いを恥じようとも、反省しようとも、誰にどう償ってよいかわからない贖罪の道。
むしろ妻への冷たさや、浮気ですら責め立ててほしい。
謝る機会も、許してもらえる機会も永遠に失い、罪悪感の落としどころが見つからない。
ベビーシッターを始めたことで気づいた自分。
泣くこと、忘れることの大切さを人に諭すことで、それができない自分の内面にも気づく。
自転車で登り切った坂道での達成感、伸ばしっぱなしの髪の毛。
10あるうちの1は気づいたかもしれないが、残りの9はこれから気づくこともあるのだろう。
それがこれからの彼にとっての贖罪なのかもしれない。
「22年目の告白」
演技がうまいと思っている役者が集合した。
①藤原竜也
演技が上手だと思う。
蜷川幸雄という演出家の指導により開花し、その後は独自の世界が広がった。
蜷川色と言うよりは彼に捉われることなく、独自の演技をしている。
ただ独自の藤原世界で演じると、どんな役を演じても同じように見えてしまう時もある。
それは次回に何か作品に出演しても演技が予測できてしまうから。
さらに切磋琢磨されることであろうから、さらに演技が磨かれ、自身を保ちつつ、新しい作品の世界観をみせてもらいたい。
②最近、伊藤英明
は、作品の世界観によって全く違った演技をすると思う。
汗臭い熱血漢から気持ちの悪い役柄まで。またまたコミカルなキャラクターも。
この映画でも武骨で不器用な男が内面に苦悩を押し込めているのが分かった。
話は江戸川乱歩の小説のように真相が読めず、筋を外しそうで本筋に戻る。
しかし今は2017年である。
街頭インタビューやテレビでのニュースのシーンに加え、ニコニコ動画風に画面上に視聴者のSMSメッセージが流れるシーンや、SNSで情報が拡散したり、またニュースでは知りえない情報がSNSから得られるというのも現代社会のメリットでありデメリットでもある。
そんな2017年のネット社会で起きた事件としての設定でもある。
ネット社会の情報で真偽が確定しない中での、情報ではなく”噂”として、拡散していることにも警鐘を鳴らしているのには共感が得られた。
「ダンケルク」
戦史の結果はわかっている。 ダンケルク撤退戦もそのひとつ。
第二次大戦の初期、フランス北端の浜辺に追いつめられた連合軍兵士の脱出劇。
詳しくない人でも、結果は知っているはず。
では、この撤退劇の何を映画にするのか。
何を見せるのか?何かを感動にするのか?感動と言う共感をフィクションで作り上げるのか?
実史を知らないと、矛盾はいくつも生じる。
ドイツ軍は、どこにいるのか。 ドイツ軍の空爆はなぜ散発なのか。 連合軍は、なぜ救援に来ないのか。 港はなぜ使えなかったのか。
今となっては答はすべて明らかなのだが、当時、浜辺に逃げ込んだ40万の兵士たちは暗中模索。
自分たちは、なにをしているのか。どうすれば苦境を逃れられるのか。 何をするのが今はベストなのか?
見る者をそういった視線に投げ込まれる。
兵士も観客も、先は読めない。 危機が迫っているのは確かに分かっているのに、あいまいな戦況、不確実な情報しかもたらされない。
自分は何を変えるべきなのか? 嘆いたり、泣いたり、無駄なことをしている暇なんてこれっぽっちもない。
感傷も苦悩も意味を持たない。 一時の安堵も許されない緊迫した時間が流れる。
そして最後まで安堵を許さなかったものが生き残る。
かすかな希望は小舟、民間船。 たった1機大空に残ったロールスロイスエンジンの戦闘機。
静かだが、信頼できる勇気。 死が身近に感じる暗黒の世界で、ちっぽけな存在が生きるという希望に勇気を与えた。
「三度目の殺人」
普通に事件が起こり、二転三転する動機に翻弄される。
サイコパスと民度の高い常識人との葛藤。
そこから主人公までもがサイコパスへと変貌を遂げてしまう。
予告編を見る限りの僕の想像の筋はこれだった。
が、しかし...
光と陰影。 真っ白な雪の北海道。 強い朝日の白光の中に小鳥のさえずり。
話が進むにつれ「実は似た者同士」の二人が浮かび上がり、それが重なり合う。
二人が共感したかは定かではないが、接見の場面で意図的に重なり合う二人の表情のカメラワークに、善と悪の代表人物でありながら、時によっては善と悪が逆転するのではないかとさえ錯覚してしまう。
是枝ダークサイドとも取れる作品である。
「女神の見えざる手」
銃社会の憂鬱。
米国で最悪の事件が起きた今月。
タイムリーな公開となってしまった「女神の見えざる手」。
本国では公開されないとのうわさと、欧州系の映画配給会社と言うのもミソ。
命が奪われる悲劇を繰り返し、でも銃規制は何故進まないのか。
そんな現実にに迫るジャーナリスティックなドラマ。
特定の団体の利益をはかるため、議員に働きかけて議会での立法に影響を与え、マスコミや世論も動かすロビイスト。
主人公は名の知られた敏腕ロビイストだが、所属する大手ロビー会社が銃擁護派団体と組むことに反発。
部下を引き連れ小さなロビー会社に移籍し、銃規制法案を可決させるべく奔走する。
愛らしい役の前作のチャスティンよりは、クールなチャステインの方がカッコいい。
「ゼロ・ダーク・サーティ」のCIA、「インター・ステラー」の科学者。
男に媚びず甘えず、強靭な信念で職務を全うする。
常に戦闘服とメークに身を包むのは、すり減らした神経ともろい心を守る鎧にも見える。
聴聞会のシークエンスから法案をめぐる攻防と行き来する構成が緻密な組み立てと衝撃的な展開の連続で先を見たくてワクワクする。
やはり強い女性が描かれる映画は好きだ。
「バリー・シール」
題材に適した映像の質感、テンポ、語り口、色味を劇中に見い出す。
そんな意外性なオープニングで始まる作品。
本作は社会派とコメディの間を心地よく駆け抜ける快作。
ことは1978年。
レーガン、ノリエガ、クリントン、ブッシュを始め、時代の顔が次々と浮上する中に負けず劣らずはトム・クルーズの笑顔。
相手は政府や捜査機関、麻薬カルテル、反乱軍。
その中での綱渡り的な人生をタフで彼そのモノの人間味で乗り切る。
各国の情勢をめぐる複雑な相関図。
70~80年代のテレビ番組やCM。
家庭用ビデオカメラのテイストなども織り交ぜ、時代特有の質感を創り出している。
ローラーコースター的な娯楽性のみならず、時の政権の愚かさを
「アトミック・ブロンド」
ColdWar、CoolSpy。
東西冷戦が氷解する直前のベルリン。
主人公はMI6のミッションを遂行する諜報員。
目的は消えたスパイリストの奪還。
今やデジタルツールに主流の世の中、ジェームズ・ボンドは例外として、人間の肉体そのものが機能する場所を失った時代に、これ程スパイアクションに適した時代設定はない。
ポイントはその諜報員が女性。
世界中で暗躍するスパイの名が記されたリストを奪い返すため、ヒロインがこれから崩れゆく壁に隔てられた東西ベルリンを往き来する。
信用できないMI6支部員、KGBやフランスの諜報機関、そしてCIAまで。
誰が味方で誰が敵か。
当時のベルリンのウォールペイント、原色のネオン、ディスコ、シャンデリアや裸婦像が配置されたバー、そして時代のBGM、そんなデカダンな時代。
最近何かとセクハラプロデューサーで話題の男社会。
そんなハリウッドでアクション女優として機能し続けるシャーリーズ・セロンならではの作品。
「ドリーム」
名作「ライトスタッフ」で描かれた、アメリカ宇宙開発史に残るマーキュリー計画には、知られざるヒーロー?ヒロインたちがいた。
ヒロインなので当然女性で、有色人種。
埋もれていた歴史秘話。
宇宙開発競争に火がついた’60年代の初頭。
NASAでは、ずば抜けた数学的才能をもつ3人の黒人女性が働いていた。
しかし人種分離政策がまかり通っていた時代。
計算(当時のコンピューター)係の女性も、管理職の仕事をこなす女性も、エンジニア志望の女性も認められず、仕事の妨害を受ける。
だが彼女たちは屈せずに闘う。
理不尽な状況に耐え、ライトスタッフを行うことで心を、社会を動かす。
黒人で女性という2重の差別にさらされた彼女たちの無念や悔しさはよく分かる。
でも暗い気持ちにはならない。
3人が誇り高くチャーミングな上に、劇中テンポ、小気味いいセリフがキマっているから。
珈琲を飲むシーンやトイレへ駆けてゆくシーンもそうだ。
正当な権利を求め、裁判所で白人男たちを説得するセリフは心に残る。
これはアメリカの有能な黒人女性たちが黒人女性にとっての「初めて」をいくつも開拓し、道を作った物語。
アメリカが過ちを正し、前へと進んだ物語。
まさに白人の目から鱗が痛快。
「ブレードランナー2049」
西暦2019年のロサンゼルスを舞台に、逃走したレプリカントと、追うブレードランナーとの模様を描いた前作から32年。
SFでありながらフィルムノワール。
そしてハードボイルドなタッチ。
映像に、こだわりを、そして創造した退廃的未来の壮観さは、現実味の感じる未来として、SF映画独特の架空のイメージを一新させた。
”いち人間として”の模索をし、生きながらえてきたレプリカント。
32年と言う歳月の中に、製作に携わったタイレルをも予想にしなかった進化が果たされていた。
人、人造人間、時代、環境。
わずかながらも光が差す自分の未来を想像し、一つ一つのピースをつなぎ合わせる。
心の流れや現実に起きている時間の経過を、抒情詩でありながら、ある時は激しく、ある時は穏やかに、まるで壮大な大曲をオーケストラが奏でるようにストーリーは進行する。
普段、人間である我々が考える「やさしさ」「憎しみ」「愁い」
行く末と、来るべき変化に向き合いながらも、丁寧に、もたらされてきた数々の疑問にドゥニ・ビルニューブは回答を与えていく。