
本作も入り口はその定型にのっとっている。
だが、監督は「マグノリア」「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」「インヒアレント・ヴァイス」など次々と怪作を生み出すポール・トーマス・アンダーソン。
平穏に事が終わるはずはなく、そこからの意表を突く展開と、うっとりするほど心地よい映画術で観客を魅了する技量は、もはや神業と呼びたくなるほど素晴らしい。
1950年代の英国ファッション界を担うオートクチュールのデザイナーが、別荘のある田舎のウェイトレスを見初め、ミューズにする。
惚れたわけではなく、あくまで職業的な審美眼に依るもののはずだった。
ウエイトレスは純粋な情熱で次第に彼をリードし、誰にとってもアンタッチャブルであったデザイナーの規則ずくめの生活を乱していく。
とくに前半、デイ・ルイスが表現するマニアックなデザイナーぶりが出色である。
生地を扱う手の仕草、仕立て服をまとったモデルを眺める厳格な眼差し。
彼がウエイトレスに仮縫いをする作業は、あたかも男性が女性を口説いているかのように官能が立ちのぼる。
そしてもちろん、つま先からてっぺんまでエレガントな装い。その完璧な体現ぶりが、後半のデザイナーの動揺をなおさら強調する。
対するウエイトレスの女優も、新人ながらデイ・ルイスと互角にわたり合うのがみごと。
ついにデザイナーと一夜を共にした翌朝のシーンは、相手を征服した女性が無意識にみせる素の表情がのぞき、ことさら印象深い。
以前ならこのあたりでデザイナーが幕を引き、ミューズ交代となるはずだった。
だがそうならないのはウエイトレスの巧妙さなのか、あるいはすべてをわかった上で身を任せる自虐的とも言えるデザイナーの愛ゆえか。
一見みごとに統制がとれた世界ながら、ここには理性で割り切れない大胆で破綻した人間性の描写がある。
本作で監督と4度目のタッグを組んだ格調高い音楽も、流麗なカメラワークやハリウッド黄金時代を彷彿させるきらびやかな映像と合わさり、観客を夢見心地に誘う。
こんな映画なら、たとえ毒とわかっていても、何度でも味わいたくなるにちがいない。