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なぜ「悪人」と言うタイトルなのだろう?
「灯台」と言うタイトルだったらどうなっていたのか.....
「灯台」ならば、犯罪者擁護、美化と言う観点に陥ってしまう。
やはり犯罪者は「悪人」たるべきなのか。
地方都市での生活人口減少や閉そく感、時代の流れと供に希薄な人間関係になった社会を反映している。
犯罪者を美化するわけには行かない部分もある。
それは、行ってはいけない事を行ってしまったから。
そんな生活ルールを破り出すと、世の中の秩序が崩れ去る。
罪を憎んで人を憎まず....そんな言葉もありますが、現代では被害者家族の救済と言う問題もあるからです。
しかし犯罪者にも色々な側面があり、単純には人格を決めつけられない。
誰もがわずかなきっかけで加害者や被害者になりえる。
二人の逃避行は犯罪に対して見詰め合う、過疎化した地方で如何にして人がつながりあうか、そんな短い旅だ。
ただそんな二人の心理状況を追いかけるだけではなく、主人公の祖母、被害者の父親、と言う正反対の立場の人間の、失意と悲しみを描いているところに、悲しみの深さの共通点を見出せた。
知り合うのは出会い系サイトで。
それしか地方過疎化都市の若い男女が接する機会がないのだろうか。
でもそんな失意に満ちただけの地方都市ではない。
監督はそんな中でも、脇役であるバスの運転手や、犯罪のきっかけになった傲慢な大学生に対して疑問を抱く同級生などの言葉や行動が、わずかな希望の光を見せている。
ただ、罪は罪。
僕は美化してはいけないと考える。