これまで度々映画化されているスコットランド女王、メアリー・スチュアートと、メアリーと王位継承権を巡って対立したイングランド女王、エリザベス1世の物語。
長編デビュー作になる監督は新たな視点を書き加えている。
本来は従姉妹同士でありながら、スコットランドvsイングランドの覇権闘争に、カトリックvsプロテスタントの宗教対立が重なり、世継ぎを産むか産まないかの選択が、即、国家の存亡を左右する女性ならではの問題に直面する両女王に、強い同情と共感の目を向けている。
美貌に恵まれ、恋愛、結婚、出産とすべて経験した上で、イングランドの王位継承権をも主張するメアリーと、争いを避けるために女性としての喜びは捨て、自ら男になる決意を固めるエリザベス。
2人は一見対照的だが、どちらも女性が国を統治することの困難さを誰よりも知っている者同士。
コインの表裏の関係にあった。
表向きは女王たちに仕えながら、影で陰謀を張り巡らし、己の野望を実現することしか眼中にない男たちの情けない実態が、現代の社会構造を暗示している。
長編デビュー作になる監督は新たな視点を書き加えている。
本来は従姉妹同士でありながら、スコットランドvsイングランドの覇権闘争に、カトリックvsプロテスタントの宗教対立が重なり、世継ぎを産むか産まないかの選択が、即、国家の存亡を左右する女性ならではの問題に直面する両女王に、強い同情と共感の目を向けている。
美貌に恵まれ、恋愛、結婚、出産とすべて経験した上で、イングランドの王位継承権をも主張するメアリーと、争いを避けるために女性としての喜びは捨て、自ら男になる決意を固めるエリザベス。
2人は一見対照的だが、どちらも女性が国を統治することの困難さを誰よりも知っている者同士。
コインの表裏の関係にあった。
表向きは女王たちに仕えながら、影で陰謀を張り巡らし、己の野望を実現することしか眼中にない男たちの情けない実態が、現代の社会構造を暗示している。
子育てをしながらハーバード法科大学院で学び、病に倒れた夫の看病をしながら彼の授業にも出席。
首席で卒業という経歴を持つ主人公は規格外のスーパーウーマン。
それが分かっていた上で映画として監督が脚色しているところに、この映画の味がある。
主人公の娘は、学校をさぼってフェミニストの集会に参加する少女で、主人公に「時代は変わった」と気づかせる役。
娘に触発されて主人公が性差別訴訟の法廷に立つ決意をするのは、映画のオリジナルだろう。
エピソードを通じて強調されるのは、主人公の闘いが単に訴訟に勝つためのものでなく、娘に代表される次世代の未来を切り開くための闘いであること。
娘と同世代であり、自身も男社会のハリウッドで大作を手がける女性監督の道を切り開いてきた監督は、娘の目線で主人公の葛藤をみつめ、娘の「私のために闘って」を借りて主人公にエールを送る。
主人公の努力を自分たちの世代が引き継ぎ、さらに次の世代に受け渡していくことを、娘を通じて宣言している。
娘は、主人公の目がつねに未来に向けられていることを物語る存在。
観客が主人公と心をひとつにできるポイント。
子どもが生きる未来は、誰もが平等な権利を持つ時代であってほしい。
そう願って法廷に立つ主人公の親心は、スーパーウーマンでなくても、法律家でなくても、共感できる。
すごい人のわかりやすい面を掘り下げたところに、フィクションとしてのこの映画の魅力がある。
首席で卒業という経歴を持つ主人公は規格外のスーパーウーマン。
それが分かっていた上で映画として監督が脚色しているところに、この映画の味がある。
主人公の娘は、学校をさぼってフェミニストの集会に参加する少女で、主人公に「時代は変わった」と気づかせる役。
娘に触発されて主人公が性差別訴訟の法廷に立つ決意をするのは、映画のオリジナルだろう。
エピソードを通じて強調されるのは、主人公の闘いが単に訴訟に勝つためのものでなく、娘に代表される次世代の未来を切り開くための闘いであること。
娘と同世代であり、自身も男社会のハリウッドで大作を手がける女性監督の道を切り開いてきた監督は、娘の目線で主人公の葛藤をみつめ、娘の「私のために闘って」を借りて主人公にエールを送る。
主人公の努力を自分たちの世代が引き継ぎ、さらに次の世代に受け渡していくことを、娘を通じて宣言している。
娘は、主人公の目がつねに未来に向けられていることを物語る存在。
観客が主人公と心をひとつにできるポイント。
子どもが生きる未来は、誰もが平等な権利を持つ時代であってほしい。
そう願って法廷に立つ主人公の親心は、スーパーウーマンでなくても、法律家でなくても、共感できる。
すごい人のわかりやすい面を掘り下げたところに、フィクションとしてのこの映画の魅力がある。