知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『まだ間に合うこと 4(心肺機能を鍛えて、酸素吸入器要らず)』 「呼吸は吸えれば努力なしで吐ける、いつでも、どこでも深呼吸を!」

2021-11-10 13:32:01 | 健康

『まだ間に合うこと 4(心肺機能を鍛えて、酸素吸入器要らず)』

「呼吸は吸えれば努力なしで吐ける、いつでも、どこでも深呼吸を!」

人生、シニア時代は、できれば『健全なる精神は健全なる身体に宿る』で心身ともに元気に生きたいと思っています。 今までは、先ずは、認知症なならないことが最優先ですが、その前に『寝たきりにならない』ために腸腰筋(大腰筋・腸骨筋・小腰筋)を鍛えることに努めてきました。

『ピンピンコロリ』などと、いいような、悪いような響きのことが、大変気になる傘寿になりました。 次はすぐに来るのが米寿です。

ここで寄り道です。 長寿祝いは旧漢字圏(日本よりは少ない)や欧米(10歳刻み)にもありますが、日本が最多種類です。

 

年齢(数え年)

長寿祝いと由来

61

還暦(かんれき):干支が一巡することから、「暦」が「還」ることから。
華甲(かこう):
「華」を分解すると「十」が6つと「一」が1つ。「甲」は干支の一番最初の「甲子(きのえね)」から一番最初を示すことから。

70

 古稀(こき):唐の詩人・杜甫の「人生七十古来稀なり」という詩から。

77

 喜寿(きじゅ):「喜」の草体が「七十七」に見えることから。

80

傘寿(さんじゅ):「傘」の略字が「八十」と分解できることから。

88

:「米」の字が「八十八」と分解できることから。

90

卒寿(そつじゅ):「卒」の略字が「九十」と分解できることから。

99

白寿(はくじゅ):「百」の字から「一」を引くと「白」になることから。

100

百寿(ひゃくじゅ・ももじゅ):文字通り「百」から。

 

108

茶寿(ちゃじゅ):「茶」の字が「十」が2つと「八十八」に分解できることから。
不枠(ふわく):「枠」の字が「十」と「八」と「九十」と分解できることから。

 

111

皇寿(こうじゅ):「皇」の字を分解すると「白(=99)」と「十」と「一」が2つに分解できることから。
川寿(せんじゅ):「川」が「111」と読めることから。

 

120

大還暦(だいかんれき):2回目の還暦を迎えたことになることから。
昔寿(せきじゅ):「昔」の字が「廿(=20)
」と「百 」に分解できることから。

 

ウエブ情報から引用

 

表題に戻ります。

それでも、まだありました。 生きている限り呼吸をしていますので、やろうと構えなくても自然にできているのが不断の呼吸です。 さてその心肺機能ですが『呼吸は、吸えれば努力なしで吐ける、いつでも、どこでも』できますので、うっかりすると、生きているうえで最も重要な機能の維持強化を忘れがちです。   

最初から、脱線で恐縮ですが、古くて新しいことわざ『健全なる精神は健全なる身体に宿る』の由来から調べてみました。


デキムス・ユニウス・ユウェナリス(Decimus Junius Juvenalis, 60年-128年)は、古代ローマ時代の風刺詩人、弁護士。 彼が残した詩は痛烈で、現実を些か誇張し歪曲した表現がよく用いられている。  代表作は、16篇からなる『風刺詩集』。

 

ウエブ情報から引用

その中で第10編第356行にあるラテン語の一節は一般には「健全なる精神は健全なる身体に宿る」(A sound mind in a sound body) と訳され、『身体が健全ならば精神も自ずと健全になる』という意味の慣用句として定着している。 しかし、これは本来誤用であり、ユウェナリスの主張とは全く違うものである。

そもそも『風刺詩集』第10編は、幸福を得るため多くの人が神に祈るであろう事柄(富・地位・才能・栄光・長寿・美貌)を一つ一つ挙げ、いずれも身の破滅に繋がるので願い事はするべきではないと戒めている詩である。 ユウェナリスはこの詩の中で、もし祈るとすれば「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」(It is to be prayed that the mind be sound in a sound body) と語っており、これが大本の出典である。

以上の背景から、単に「健やかな身体と健やかな魂を願うべき」、つまり願い事には慎ましく心身の健康だけを祈るべきだという意味で紹介されることがあるが、それも厳密には誤りである。健全な精神については数行に渡って詳細に記述されており、ユウェナリスがローマ市民に対し誘惑に打ち克つ勇敢な精神を強く求めていたことが窺える。

その後しばらくは本来の正しい意味で使われていたが、近代になって世界規模の大戦が始まると状況は一変する。 ナチス・ドイツを始めとする各国はスローガンとして「健全なる精神は健全なる身体に」を掲げ、さも身体を鍛えることによってのみ健全な精神が得られるかのような言葉へ恣意的に改竄しながら、軍国主義を推し進めた。 現在は冷戦も終わり軍国主義を掲げる必要がなくなったことや、解釈によっては身体障碍者への差別用語にもなりかねないことから、多くの国では身体と精神の密接な関係とバランスを表す言葉として使われている。

 表題からは見事に脱線してしまいました。 運動をしていれば、体を動かしていれば、効率的か、非効率的かは別に心肺機能には良いことです。 『健全なる精神は健全なる身体に宿る』はその由来を含めて、文学・詩歌の解釈・理解さえも時代とともに変遷しますし、さらには為政者に利用さえされるようです。 

この情報社会・情報化社会には、ますます『心・技・体』、『まずは体→心→技』を、いつも念頭に頑張っていきたいと再確認しました。

(記事投稿日:202111/10、#422)

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