『自然の不思議・樹木のこと 11(屋久杉は凄い、頂点に縄文杉』
『屋久杉は「秀吉」「薩摩藩」「明治政府」に伐採・建材にされた!』
『運良く残れた「縄文杉」は、つい58年前(1966/05/28)に、
屋久島の標高1,300メートルの高塚山尾根筋に近い南斜面で、
屋久島の旧上屋久町の元観光担当だった岩川貞次氏が発見。』
屋久杉は屋久島の標高500メートル以上の山地に自生するスギ。 狭義には、このうち樹齢1000年以上のものを指す。 縄文杉は、屋久島に自生する最大級の屋久杉。 スギの1個体に付された名であり、種の名称や、あるいは、縄文時代から生きている個体の総称ではない。
屋久杉を調べていて、気が付き、驚いたことは、標高約500m~2000ⅿに自生していることも驚きですが、推定樹齢1000年以上のものは、建材にはならないほどの『姿』なっていますので伐採されずに残りました。 その他の若い『姿』の良い、多くの屋久杉は、主には『太閤秀吉』『薩摩藩』『明治政府』などに建築材料として伐採されてしまいました。
屋久杉は、屋久島の標高500メートル以上の山地に自生するスギ。 狭義には、このうち樹齢1000年以上のものを指し、樹齢1000年未満のものは「小杉」と呼ぶそうです。 また屋久島で植林された杉を「地杉」と呼ぶが、樹齢100年以内の小杉を指す語としても用いられる。 このように使い分けて呼ぶのは、主に地元で昔から生活に密着した材料であったため、工芸品でも有名。
スギ
裸子植物マツ綱のヒノキ科スギ属に分類される常緑高木になる針葉樹の1種、スギ属の唯一の現生種とされる。 大きなものは高さ60mになり、日本自生の木の中で最も大きくなる種とされる。
縄文杉
樹高 | 25.3m |
胸高周囲 | 16.4m |
推定樹齢 | 2000年代~7200年 |
標高 | 1300m |
場所 | 大株歩道沿い |
ウキペデイア情報から引用
解説
先ずは、ユニークなエピソードから、
『縄文杉は「秀吉配下に見付からず」に済んだのは運がよかったと思い込んでいました。 当時まだ縄文杉は発見されておらず、ずっと最近(1966年)の発見です。 もし発見されていたら、太閤様のことですから、城郭・寺院の建築材料には不向きでも『どこかの置物』にでもしてしまったかもしれません。』
1966年に発見された縄文杉は現在確認されている最大の屋久杉です。 背が低いずんぐりした樹形は台風の常襲地帯に育つ屋久杉の特徴をよく表しています。また、凹凸の激しい幹は江戸時代に利用できない巨木として切り残されたことを示しています。 樹齢7200年という説もありますが、中心部が空洞になっており、その内側から採取した資料の科学的計測値は2170年となっています。
登山者の踏圧により根が傷むことがないよう1996年に展望デッキがつくられました。 また、2009年より荒川登山口へは通年(3月~11月)車両乗入規制が行われ、登山口からは往復で10時間程の本格的な登山コースとなっています。
2005年に折れたおよそ1000歳の大枝(全長5m、直径1m)は、数千年を生きる縄文杉の生命力や森の成り立ちを知る手がかりとして「縄文杉いのちの枝」と名付けられ、屋久杉自然館に展示されています。
ウィルソン株
伐採された屋久杉の大きさ(推測)DATA
樹高 | 42m |
胸高周囲 | 13.8m |
推定樹齢 | 2000年余 |
標高 | 1030m |
場所 | 縄文杉登山ルート大株歩道沿い |
ウキペデイア情報から引用
解説
大正時代に屋久杉を調査し、大株を紹介したアメリカの植物学者ウィルソン博士にちなんで名付けられました。 300年程前に伐採された切り株で、中は大きな空洞になっています。巨木が伐採された後、根際には次世代の3本の小杉が生えています(切り株更新)。
ウィルソン株は、豊臣秀吉の命令により京都の方広寺大仏殿造営の為に 切られたとされる。1587年の秀吉の九州制圧後、秀吉が島津義弘に命じて屋久島の木材の伐採を行ったとされており 、1590年頃に小豆島の大型船11隻が、京都方広寺大仏殿造営のための屋久杉材を大坂へ運んだとされるが、そのうちの1本と思われる。
秀吉の命により切り倒されたとされているスギの切り株である。 もし生育して現存するのであれば、屋久島最大と思われるだけではなく、日本最大の樹木であった可能性も捨てきれない。
各資料には胸高周囲13.8mなどと表示されているものを見かけるが、これは胸高ではなく切り口付近の周囲である。 切り口は高さが5mほどの高さであり、胸高の1.3mでは、この値よりも遙かに大きな幹周を誇っているであろう。 縄文杉の幹周を、遙かに凌駕する大きさを誇っているに違いなく、生きていたならばダントツで日本一のスギだった可能性が高い。
この切り株を調べた方の資料によると、樹高も60mほどの高さを持っていたとされており、伐採された梢の先端は現在でも横たわったままであるという。
おそらく樹姿も素晴らしかったと想像され、その為に材として伐採されてしまったのであろう。一方の縄文杉や大王杉は材に問題があり伐採を免れたとも言う。 大王杉に至っては、木の裏側に試し切りの跡さえも残っている。
ウィルソン株は、縄文杉へのアプローチの途中にあり、ほとんどの登山者がこの切り株の前で一息入れ、さらに奥への縄文杉への道にトライしていく。ここはちょっとした空間が広がっており、まさに一息つくにはもってこいの場所なのだ。ほとんどの方の目的が縄文杉であろうから致し方ないのであろうが、このスギの偉大さにも気づいて欲しいところである。
伐採から400年もの時間が経つが、一向に朽ち果てることもなくその姿をとどめている。いかに屋久杉が優れた材であるかを、身を以て証明しているかのようである。
翁杉
樹高 | 27m |
胸高周囲 | 12.7m |
推定樹齢 | 2,000年 |
標高 | 1030m |
場所 | 徒歩往復6時間ほど |
ウエブ情報から引用
解説
現在の大きさは幹周13mをくだらないであろう。 この周辺から岩峰の翁岳が見えることから名が付けられたらしい。 苔生した姿が、何とも屋久島のスギらしくて好ましい。
残念な事だが、2010年9月9日の夜から10日の朝の間に、高さ2mほどのところから折れて倒伏してしまった。倒れた幹はそのまま放置とし、自然環境教育の場とする旨、林野庁から発表があった。 幹の太さにおいては縄文杉に次ぐ大きさを誇っていただけに、非常に残念である。
大王杉
樹高 | 24.7m |
胸高周囲 | 11.1m |
推定樹齢 | 3000年 |
標高 | 1190m |
場所 | 縄文杉登山ルート大株歩道沿い |
ウエブ情報から引用
解説
急斜面にあり、根元の上と下で5.3mもの落差があります。下部に大きな割れ目があり、中は空洞になっています。 縄文杉が知られるまでは、最大の屋久杉といわれて『大王』の名前がつけられました。 現在は登山道が整備されすぎたため、スギの南西側を登る道一本となってしまっているが、かつては大王杉のすぐ脇を通る登山道も存在した。
その道からはスギの背後に残された試し切りの痕跡、空洞内の様子なども伺うこともできた。 この空洞内で登山者による火災が起きたため、その後は前述の登山道一本にまとめられてしまったようである。 縄文杉よりも大王杉のほうが、風格があるように見えるそうです。 全容をなかなか見渡せないため、少々不利な立地条件にも見える。
紀元杉
樹高 | 19.5m |
胸高周囲 | 8.1m |
推定樹齢 | 3000年 |
標高 | 1230m |
場所 | 安房林道沿い |
ウエブ情報から引用
解説
クレーン車による詳しい調査が行われ、着生樹の様子が明らかになりました。紀元杉は特に着生樹が多く、10種類以上が着生しています。 枯れていた先端部分は、2012年4月に安全の為に切り離され、屋久杉自然館に展示されています。(全長150cm 直径60cm)
屋久島の中でも一、二を争う樹齢を誇っている。 伝承では樹齢推定3000年と伝えられ、樹齢がはっきりとしない縄文杉よりも、こちらの方が古いのではないかとの声も聞く。 屋久島を代表する巨樹、ウィルソン株、大王杉、縄文杉らと比較しても決して引けはとらない大きさであり、老樹の威厳をも兼ね備えていると言っても良いだろう。
一度見たかった縄文杉、今では国土地理院地図、又はグーグルマップでの散策になります。
(記事投稿:2024/02/02、#722)