知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『日本語のこと 2(通い詰めている地元の市立図書館で見つけた本が、金水敏氏編集のミネルヴァ書房刊「よくわかる日本語学」)』

2024-11-26 16:49:32 | 寺院・仏閣・神社・お社
『日本語のこと 2(通い詰めている地元の市立図書館で見つけた本が、金水 敏氏編集のミネルヴァ書房刊「よくわかる日本語学」)』

『この難しい言語「日本語」を難しいと言わずに、解析! 国の数では、ほぼ、表音文字が大多数の地球上で、表意文字・漢字と、表音文字の平仮名+片仮名+ローマ字の混合で発展した日本!』

 ウエブ情報から引用

地球上で一番難しい言語は『日本語』ではないでしょうか。 なぜなら『表意文字の漢字と、表音文字の平仮名+片仮名+ローマ字+略語』と、『新聞読むのに苦労する、「カタカナ英語」と「英語略語」の氾濫』があります。 

さらには、このようなウエブ情報も見つけました。
日本の書籍や雑誌、テレビ番組の字幕で中国人名の現地読み(中国語読み)がよく使われている。 ニューズウィーク日本版でも例えば、習近平にシー・チンピンとルビが振られている。 ところが、この現地読み、在日中国人にとっては悩みの種だ。 片仮名の表記を読んでも中国語の漢字を連想することが難しく、また日本人がそれを口にしても、何を指しているか分からないのである。 一般的に、片仮名のように音をそのまま表現する表音文字を持たない中国人は、日本人の名前の漢字を中国語で発音する。 逆もしかりで、母音も子音も少ない日本語で中国語の音を表現するのは至難の業だ。 実際、中国人がパッと聞いて分かる片仮名表記はほとんどないだろう。相手に伝わらないのであれば、何の意味もない。しかもこの片仮名表記、各社で統一されているわけでもない。 シー・チンピンもいれば、シー・ジンピンもいる。 これでは、ただでさえ分かりにくい中国人の人名表記がさらに分かりにくくなる。 在日中国人にはなかなか頭の痛い中国人名の表記。日本の皆さんはどう思われますか?

カタカナ中国語の「シー・チンピン」もダメだけど、習近平(しゅうきんぺい)はもっとダメです。 日本においてこのような変化が現れるようになったのは、「習近平(しゅうきんぺい)」方式が国際社会において全く機能しなかったからです。 海外留学経験者であれば、外国人と中国関係の話をすることが絶望的に困難であることを思い知らされていると思います。

中国語圏・漢字語圏とスペイン語圏の20年以上も住んで、生活した傘寿+3爺にとっては、しみじみと思う、日本語は『表意文字の漢字と、表音文字の平仮名+片仮名+ローマ字+略語』と、『新聞読むのに苦労する、「カタカナ英語」と「英語略語」の氾濫』する ”日本人にも” 難しい言語です。
そんな時、国会図書館通いから足が遠のき、通い詰めている地元の市立図書館で見つけた本が、金水敏氏編集のミネルヴァ書房の『よくわかる日本語学』でした。

本書は、日本語学・国語学を専攻する大学生、またひろく一般読者に向けて書かれた、日本語学の奥深く豊饒な世界を堪能できる入門書。 具体的な例をあげ、日常生活に潜むことばの法則を読み解く。日本語の定義から始まり、音声、形態、語彙、統語・意味、表現、言語行動、日本語史まで、第一線で活躍する執筆陣が、それぞれの項目について研究の最前線のエッセンスをやさしく、楽しく学べるように解説。

[ここがポイント]
◎ 日本語学関係の諸分野(日本語学、言語学、方言学、日本語教育他)を専攻する大学生、関心を持つ他分野の研究者や一般読者に、日本語・言語研究の面白さと言葉の不思議さを伝える
 ◎ 第一線で活躍する研究者が、それぞれの項目について研究の最前線のエッセンスをやさしく、楽しく解説。

詳しくは、『よくわかる日本語学の目次』(タフな内容ですが時間をかけて読んでみようと思っています。)

はじめに

1 日本語の定義
 1 標準語・共通語
 2 日本語が話される地域
 3 日本語の話者
 4 日本語の方言・日本系言語
 5 日本語の近隣の言語

2 音声・音韻と表記
 1 音声・音韻概説
 2 母 音
 3 子 音
 4 音節構造(シラブル・モーラ)
 5 日本語のアクセント
 6 イントネーション
 7 日本語の表記

3 形態論
 1 動 詞
 2 形容詞
 3 名詞述語・形容動詞

4 語彙論
 1 語 種
 2 和 語
 3 漢 語
 4 外来語
 5 混種語
 6 品詞と語彙
 7 オノマトペ
 8 指示詞・代名詞
 9 新語・流行語

5 統語論・文の意味論
 1 統語論概説
 2 語順とかき混ぜ・省略
 3 主節と従属節
 4 条件節
 5 連体修飾節・準体節
 6 格と格助詞
 7 主題・焦点
 8 動詞文
 9 形容詞・形容動詞文
 10 名詞述語文
 11 取り立て
 12 受身文
 13 自発・可能
 14 使役文
 15 アスペクト
 16 テンス
 17 ムード・モダリティ
 18 終助詞と文末イントネーション
 19 疑問文

6 文章・文体・表現論
 1 口語体と文語体
 2 話し言葉と書き言葉
 3 位相と位相差
 4 話し言葉・書き言葉のスタイル
 5 役割語とキャラクター
 6 ヴァーチャル方言
 7 やさしい日本語

7 言語行動・社会言語学・応用日本語学
 1 敬語とポライトネス
 2 命令と依頼
 3 さまざまなヴァリエーション
 4 言語変化
 5 方言と共通語化
 6 日本語教育
 7 国語教育

8 日本語の歴史
 1 日本語の起源・系統
 2 日本語史の時代区分
 3 古代日本語の資料
 4 中世日本語の資料(キリシタン資料)
 5 中世日本語の資料(キリシタン資料以外)
 6 近世日本語の資料
 7 近代・現代日本語の資料
 8 音声・音韻の変化
 9 表記の変化
 10 形態の変化
 11 語彙の変化
 12 指示詞・代名詞の変化
 13 ヴォイスの変化
 14 テンス・アスペクトの変化
 15 モダリティの変化
 16 統語構造,構文の変化
 17 敬語の変化
 18 文章の変化
 19 話し言葉の変化
  20 標準語の誕生

文字がなく、話し言葉であった『大和言葉(やまとことば)』は、古くは和歌や雅語(詩歌)のことを意味したが、現在ではもっぱら日本語の語種(単語の出自)の一つであり漢語や外来語に対するにほんの固有語を指す。 飛鳥時代頃まで大和国や大和飛鳥を中心に話されていたと言われています。 

日本語とアイヌ語のルーツをなども思いだしながら、冬の夜長を頑張ります。
(記事投稿日:2024/11/26、#980)
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『地形を見ると、歴史が面白い 1 「大阪城vs江戸城」』 『大阪城(半島状の上町台地北端立地で水城の如し)対して、江戸城(凹凸武蔵野台地東端で個々の掘の水面標高差最大15ⅿに苦心!』

2024-11-24 21:30:34 | 寺院・仏閣・神社・お社
『地形を見ると、歴史が面白い 1 「大阪城vs江戸城」』
『大阪城(半島状の上町台地北端立地で水城の如し)対して、江戸城(凹凸武蔵野台地東端で個々の掘の水面標高差最大15ⅿに苦心!』

縄文時代、上町台地は大阪湾の海に突出した半島でした。 戦国時代の海面は下がっていましたが、満潮時には海流が淀川・大和川の奥まで逆流し、雨が降れば一面水浸しの湿地帯でした。 そういう意味では名古屋城と立地条件が極似しています。 ちなみに浪速や難波という地名は、文字通り海の波にさらされていた場所という意味です。 当時の大阪、摂津地方で唯一この石山の上町台地だけが乾いた高台だったのです。

織田信長が1570年から11年もの間、一向宗と戦っていたことは有名な話ですが、実は一向宗の本山があったのは大阪の石山本願寺。 現在大阪城が建っている場所でした。 石山とは大阪市中央区の上町台地を指し、そこには本願寺の総本山があったのです。

さて、江戸城ですが、
なんでもランキングする昨今ですが、世界中の難攻不落と呼ばれる機能美溢れる城郭や城塞を歴史上の防御実績をもとに、ランキングした情報がありました。
トップ10の中に、大阪城6位と、熊本城9位が入っていました。 最大規模の江戸城がこのランキングに入っていないのは、江戸城は築城以来一度も『城攻め』されてないことが理由でしょうか。

『大阪冬の陣で城は淀川を堰き止め、水城のようにしたが、徳川方に堰を破壊され、さらに上町台地北端の大阪城天守閣に大砲を撃ち込まれ落城!』

 ウエブ情報から引用

秀吉の文禄堤
大坂城の水没防御策、今回は「大坂冬の陣について新事実が分かった」と千田嘉博氏が大活躍している。 その新事実とは秀頼がとった大戦略。 大坂城は水没防御策をとったというのである。

その方法とは淀川の堤防を決壊させて、大坂城下を水浸しにするという方法。籠城戦の場合、完全に囲まれることで回りからの補給を断たれるという問題が生じるのだが、城下を水浸しにすれば、敵はそこに陣を置くことは出来ず完全包囲が出来なくなる。

では実際に淀川の堤防を決壊させた場合にどの程度の浸水が起こるかを、地形データに基づいて、古気象学によって導き出した当時の降雨のデータを組み合わせることによって推測している。 その結果として判明したのは、大坂城の北から東にかけての地域でかなり広範囲に浸水が起こり、その水深は2メートルにも及ぶというものである。 こうなると滞陣はおろか攻め込むことさえ不可能となる。

寄せ手が攻めあぐねると長期戦は必死。 そうなると大軍である徳川軍はやがては秤量などにも事欠くようになる。 それに対して豊臣軍は船を使って外部からの輸送も可能(といっているのだが、実際にこの時に外部から補給を行ってくれる勢力があるのかが私は大いに疑問だが)なので、状況的に徳川を不利に追い込んで有利な条件での講和なども可能となるという読みだという。 
この作戦も、家康の百戦錬磨の戦績には対抗できず、淀川の北側から大阪城の天守閣に大砲を撃ち込まれ、淀殿と秀頼が降伏します。

秀吉時代の大坂城を「豊臣大坂城」、徳川時代の大坂城を「徳川大坂城」と言う。 豊臣家は、慶長20年(1615)の大坂夏の陣で敗れ、大坂城とともに滅亡する。 その後、大坂城の地には、新たに徳川幕府によって盛り土され、徳川大坂城が築かれた。 現在見られる 大阪城はこの時の城で、秀吉の大坂城は地下に眠っている。

徳川幕府は「大阪城」を再建する際、豊臣時代の石垣に盛り土を施し、地下に埋めてしまい、その上に建造するという荒行を行いました。淀川など河川の整備を行う際に出た土などを使用したと言われています。その後、地下に豊臣時代の名残があることは忘れ去られてしまいました。

築城以来不戦の江戸城は、最後は無血開城
江戸城は武蔵野台地の東端に位置しており、築城には武蔵野台地特有の凹凸地形が活用された。内郭内の高低差が最大25メートルもある。かつては本丸の前まで入江が広がっていて、現在の東京駅や日本橋は「江戸前島」と呼ばれる半島にあった。江戸城は天下一の巨大な城郭となり、城下町は当時世界一の大都会へと発展した。

 ウエブ情報から引用

徳川家康が江戸幕府を開いたときから、人口は膨張している。 関東ローム層だから、井戸を掘っても、さして水は出てこない。そこで、神田上水や、玉川上水がつくられた。
玉川上水は、奥多摩・羽村の堰(せき・堤防)から延々と水を引いてくる。
基本的な考えは、現在の水道管と同様に、木樋(もくひ)や石樋を地下に埋め込み、上水を引いているのだ。

豊臣大阪城 vs 徳川大阪城(西国外様大名に備えたか、浪速っ子に見せた?)
秀吉時代の大坂城を「豊臣大坂城」、徳川時代の大坂城を「徳川大坂城」と言う。 豊臣家は、慶長20年(1615)の大坂夏の陣で敗れ、大坂城とともに滅亡する。 その後、大坂城の地には、新たに徳川幕府によって盛り土され、徳川大坂城が築かれた。 現在見られる 大阪城はこの時の城で、秀吉の大坂城は地下に眠っている。

徳川幕府は「大阪城」を再建する際、豊臣時代の石垣に盛り土を施し、地下に埋めてしまい、その上に建造するという荒行を行いました。 淀川など河川の整備を行う際に出た土などを使用したと言われています。 その後、地下に豊臣時代の名残があることは忘れ去られてしまいました。

 ウエブ情報から引用
江戸城の豪華で巨大な天守閣が復元されない限り、日本人は豪華で巨大な大阪城の天守閣に魅せられる続けることでしょう。 江戸城天守閣再建は以前話題になりましたが、また立ち消えました。
(記事投稿日:2024/11/24、#979)
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『自然の不思議・樹木のこと 14(紅葉狩りならぬイチョウ狩りに』 『四季には、いつでも花・木鑑賞ができる広大な昭和記念公園に)』

2024-11-19 09:18:01 | 寺院・仏閣・神社・お社
『自然の不思議・樹木のこと 14(紅葉狩りならぬイチョウ 狩りに』

『四季には、いつでも花・木鑑賞ができる広大な昭和記念公園へ)』

イチョウは、剪定されているいないに拘わらず、葉っぱは小さくなる一方の不思議と、同じ日当たりでも黄金色時間差拡大傾向?

イチョウの葉っぱは、『最近小さくなってきている』と大半の方々から聞いています。 イチョウ(銀杏、公孫樹、鴨脚樹、学名:Ginkgo biloba)は、裸子植物で落葉性高木。 日本では街路樹や公園樹として観賞用に、また寺院や神社の境内に多く植えられ、食用、漢方、材用としても栽培される。

イチョウの黄金色(紅葉)時間差拡大傾向?


 
モミジの紅葉は見頃
 


イチョウの黄金色(紅葉)時間差このぐらいで十分
 


日傘の飾り付けが見事
 

先日(2024/11/15)広大な『国営昭和記念公園、季節を問わず、散策が楽しい!』に行ってきました。 一日では、四分の一回るのがやっとでした。 とにかく広い公園で、カメラぶら下げての散策には2-3日かかりそうです。 公園は『緑の回復と人間性の向上』をテーマに1978年(昭和53年)度より建設省の手で施設整備が進められ、1983年(昭和58年)広大な、約70haで開園した後、レインボープールや子供の森、日本庭園、砂川口、盆栽苑等次々と施設が整備された。 

この公園は立川基地跡に開設されており、レクリエーション施設としての面もあるが、立川市と昭島市の広域避難場所の一つに指定されている。 防災関係機関が所在する立川広域防災基地が公園に隣接している。

この度、広大な『国営昭和記念公園』の散策で気が付いたことは、表題の通りです。 世界の20数ヶ国で、ボーッと、見てきた樹形のこと、この歳、傘寿+3まで、気にも留めませんでした。 その樹形の理解と記憶は『樹冠』と言われるくらいですので、暑い地方では半球形の冠と寒い地方では円錐形の冠でした。 人間は、よくこれを矯正剪定をしますが、狭い地球上のことですので、できるだけ、自然体の半球形の冠形円錐形の冠形を維持したいものです。
(記事投稿日:2024/11/20、#978)


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『地球上で一番難しい言語・日本語 (公用文では、常用漢字表の漢字使用がルール、更には表意文字の「漢字」と表音文字の「ひらがな・カタカナ・ローマ字・英語と英語の略語・短縮語」も!』

2024-11-12 08:27:14 | 寺院・仏閣・神社・お社
『地球上で一番難しい言語・日本語 (公用文では、常用漢字表の漢字使用がルール、更には表意文字の「漢字」と表音文字の「ひらがな・カタカナ・ローマ字・英語と英語の略語・短縮語」も!』

『日本を占領したGHQは「漢字を廃止」、ローマ字に一本化狙いを!』

『昔 GHQだけではなかった「漢字廃止論」が、でも漢字使用継続』


 ウエブ情報から引用

日本語学者 今野真二氏の『日本語日記「大きな島と小さな島」』の記事が載っていました。
2024年8月26日から5日間、太平洋の島嶼国、地域とオーストラリア、ニュージーランドが参加する「太平洋諸島フォーラム(Pacific Islands Forum)」の首脳会議が開催されました。 「日経新聞」の見出しは「島しょ国首脳会議 開幕」です。 「トウショ」を『三省堂国語辞典』第8版(2022年)で調べてみると、「しま。しまじま」と説明されています。 「嶼」が常用漢字表に載せられていないので。

ウエブ情報から引用
日本語でも中国語でも実際に使用されている漢字は異なり字の総数は数千の単位であって、数万ではない。 字種の数は調査する対象が多方面になり、また数量も多くなれば、当然のことながら増大するが、中国語の場合にはおよそ7,000程度、日本語の場合には5,000程度であって、それ以上急激に増大することはありえない。』
『公用文では、常用漢字表に従って漢字を用いることが定められていますが、固有名詞や専門用語などについては表外字の使用も許容しています(筆者追加;これが、新型コロナウイルス感染症の予防と治療の医療機関での登録手続きが、IT後進国・日本では、大混乱の原因)。 ただし、専門用語等で読みにくいと思われる場合には振り仮名を付けるなどの適切な配慮をするとしています。新聞では、読みやすく分かりやすい記事を書くために、常用漢字表を基に、各社独自の漢字使用の基準を作っています。 この基準は、新聞社などが加盟する日本新聞協会が決定したものを基に、各新聞社で更に検討を加えて作られます。 例えば、日本新聞協会の決定では、常用漢字のうち「虞」「且」「謁」「但」「朕」「附」の7字を使わないとする一方で、表外字である「磯 いそ」「絆 きずな」「哨 ショウ」「疹 シン」「胚 ハイ」の5字を新聞で使用できるとしています。』 やはり、日本語は難しい。

日本語が難しい理由は、以下のようなものがある:  
  • 漢字や敬語の使い分けが複雑
  • オノマトペや方言が多い
  • 文字の種類が多い(ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベット)
  • 主語が曖昧で内容を読み取るのが難しい
  • 日本語は英語と文構造が逆である(英語はS+V+Oだけど、日本語はS+O+V)

といわれていますが、昔は、世界に先行した技術・産業・知識等ありましたが、最近は先行しているものが、少なくなりました。 とくに外国と比べて大きなハンデになっているのは、

  • 文字の種類が多い(ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベット)+ローマ字と外国語)、加えて得意げに作られる新造語・略語(これで無暗に脳細胞に対して脳トレを超えた、年がら年中の酷使)する結果になっています。 

因みに、世界の表意文字の使用大国は中国と日本だけです。 中国では表意文字漢字とピンイン(発音記号)の2種類で、IT・AIのトップレベルに駆け上がりました。 何かヒントになりそうではありませんか

毎日、新聞をくまなく見ていると解ります。 『表意文字の「漢字」と表音文字の「ひらがな・カタカナ・ローマ字・英語と英語の略語・短縮語」も!』に加えて、連日の新造語の乱発です。 言語は生きており、成長していると言いますが、傘寿+3には、ついていけないほどです。
(記事投稿日:2024/11/12、#977)
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『島国日本にも世界三大墳墓の一つ、仁徳天皇陵古墳があった』

2024-11-11 08:01:33 | 歴史・日本

『島国日本に世界三大墳墓の一つ、大山陵古墳があった』 

世界の三大墳墓の敷地面積比較;
 始皇帝陵コンプレックス:     約52万平方
 ギザの大ピラミッドコンプレックス:約48万平方
 大山陵古墳:           約47万平方』 

大きさの比較には、いつでも、引用させていただきますのが、本川達雄著の『ゾウの時間・ネズミの時間』には、『動物は大陸では大型化が進み、島では小型化が進む』とあります。 超大型建造物にも言えます。 超大型建造物の構築には大きな労働力の動員が出来る人口と、それを養う十分な食料調達が出来る広大な領土が必要になります。 

 

日本は島国で、大陸の『縁・ヘリ』に位置するが、『大陸では大型化するという原則からは、外れ、『世界三大古墳の一つ』がありました。 大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)または大山古墳(だいせんこふん)は、大阪府堺市堺区大仙町にある古墳・天皇陵。 形状は前方後円墳。 百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つで、日本最大の古墳である。この古墳の三重の堀は、日本に5ヵ所のみと言う珍しいもので、外堀は、江戸時代に開墾されていたが痕跡があり、明治時代に掘り直された記録があります。

外国人がよく言う『日本は凄い、日本人は凄い』は、世辞か実力かどうか、の調査が、今後の課題です。 昨今は、ロマンのない世情ですので余計に調べたくなります。 この超格差社会の中で、超大国のリーダー達が『弱肉強食、強いものだけが生き延びればよい、石器時代』に逆戻りさせていますので。

 

先ずは、ウエブ情報です

百舌鳥古墳群にある仁徳天皇陵古墳は、エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵と、ともに世界三大墳墓の一つに数えられます。 三大墳墓の大きさを比べると、仁徳天皇陵古墳の巨大さがわかります。

            全長(m)  高さ(m) 体積(万立米)

仁徳天皇陵古墳     486     36    140

始皇帝陵        350     76    300

クフ王ピラミッド    230    146    260

 

最近の宮内庁の発表では、5世紀の築造当時は、全長525m。

周濠に水がある古墳の全長を、どこで測るかは学術的な定義がなく公式の全長を変更する予定はないという。

 

始皇帝陵は兵馬俑坑(副葬坑)を含めたら、世界最大級規模になる。 兵馬俑坑はこの陵を取り巻くように配置されており、面積は25万m2余りに及ぶ、きわめて大きなもので、3つの俑坑には、戦車が100余台、陶馬が600体、武士俑は成人男性の等身大で、8,000体ちかくあり、兵士の俑にはどれ一つとして同じ顔をしたものはないことが『ネオフェイス』と言う世界で高い評価を受けている顔認識のソフトで立証されている。 

不思議で且つ驚異の技術です。

 

大ピラミッドには、自重で潰れないように『重量軽減の間』採用その技術と長期間の建設作業『期間二十数年余、2分強間隔で、重量2トン超の石材230万個余りを』を分業・流れ作業で積み上げた

 

『クフ王の大ピラミッドについて1978年に大林組が「現代の技術を用いるなら、どのように建設するか」を研究する企画を実行した。それによれば総工費 1,250億円、工期5年、最盛期の従業者人数3500人という数字が弾き出された。』 当時のあらゆる建設重機と、この建設のための新規設計の専用重機使用です。

 

 さて、仁徳天皇陵古墳ですが、埋葬されている埴輪の調査や議論の結果、そこに眠るのは仁徳天皇とは断定できない。ということで教科書での呼び名も「仁徳天皇陵」から『大山古墳』へと変更されたので、今では『大山古墳』と呼ばれています。 世界最大級の墳墓で、5世紀中頃に築造されたと考えられており、

全長486mの前方後円墳で、周囲の三重の濠を含めると面積は46万m2余りで、

世界最大です。 島国日本に名実ともに世界最大の墳墓がありました。

 

大山古墳について、ここに侵入したことがあるという、昔の少年達の冒険談を、聞いたことがあります。 少年時代に見た、有名なアメリカの冒険ホラー映画『スタンド・バイ・ミイ』を地で行く如く冒険で、この大山古墳に入って探検遊びが出来たと、そこでは魚釣りさえもできたと。 自分達の少年時代の冒険と言えば、かなりローカルな話題で恐縮ですが、千葉県旭市飯岡の屏風ヶ浦『東洋のドーバー』の崖下を、干潮時(満潮時には、狭い砂浜は、荒波に水没し危険に、命懸けで、通蓮洞(陰陽師・安倍晴明の伝説の場所)までの約3㎞を突っ走ったことがあります。 夢があり、少年達が生き生きとしていた時代です。   (記事投稿日:2018/05/19、 最終更新日:2024/11/11、♯017)

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