◎その車に、下山総裁が乗っているのを見た(大津正)
大森実『日本はなぜ戦争に二度負けたか』(中央公論社、1998)から、「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅱ」を紹介している。本日は、その三回目。
朝日、読売両紙がやった紙面作成方向のように、検察と警視庁捜査二課(一課は自殺説に傾いていた)の他殺説を肯定する場合だが、私はまず、事件記者第一科として、「殺してトクをするのは誰だったか?」を考えることから、推理をスタートさせてみる。
犯行が、GHQが望んだかも知れない「共産党のコンスピラシー〔陰謀〕」を装う演出であったと仮定するとき、共産党はなぜわざわざ自殺を偽装するような殺害の演出をやる必要があったかを、考えよう。
九万五千人の首切りに悩んだ下山総裁が、自殺すること。それは毎日新聞の平正一デスク説のように、非常にあり得る推定であった。国鉄共産党フラクションが用意していたゼネストの起爆剤になり得る、格好の「自殺事件」となるが、共産党が、何をもって殺人という危険な謀略を試みる必要があったか?
当時は、その六ヶ月後に発生するコミンフォルムの「野坂批判」(後述する)で共産党が柔軟路線を批判される前であったし、共産党が人殺しをすると考えることのほうが不自然である。「下山事件」後に発生した、いずれも国鉄のクビ切りと関係があった「三鷹、松川両事件」の公判経過を追っていけば解決される問題である。
では、共産党を殺害者に仕立てて、国民に恐怖心を抱かせるという謀略で、下山総裁を殺害したかもしれない占領軍のある機関を想定するとき、そのようなコンスピラシーを実行できるのは、先に述べたように、鹿地亘を誘拐し、鹿地にスパイになれと強要したため、鹿地を自殺未遂に追いこんだGHQ対敵情報部・特殊工作隊のキャノン機関を措いて考えられないが、例えばキャノン機関を下山殺人の加害者と推定するとして、何が考えられるだろうか?
検察、捜査二課、そして朝日、読売両新聞の科学捜査面が割り出した死因――、下山総裁の亀頭部と睾丸部をブラック・ジャック様の凶器で殴って死に至らしめた犯人集団は、なぜ死体から血を抜き取って、他殺死体を轢断現場のレール上まで運んで、自殺を偽装する必要があったのか? という基本的な問題の解明が必要となるだろう。
下山総裁の体から血が抜かれていたために、死体にも遺留品にも生活反応が出なかったという、科学捜査の結果について異論はないとするとして、犯行集団が、共産党を犯人に仕立て上げたかったのであれば、殺して荒川放水路に放りこむ簡単な手段をなぜ選ばなかったのか、もっとはっきり共産党がやったんだと、誰にでも分かるようなトリックがあってよかったのではないか。
矢田、栗田両記者は、下り列車の逆方向の四十メートルも離れた枕木からルミノールの蛍光を発した血痕を採取して、東大法医学教室に検査を依頼したと言うが、DNAという進歩した血液測定法が法医学に採用されている今日でも、DNAは犯人を否定する決め手になっても、犯人断定に使うにはまだ問題を残している。
両記者が、列車の進行方向とは逆方向の枕木から採取した血痕が、下山総裁の血であったかどうかの決め手はない、というと両記者の努力には酷になるが、ではなぜ、キャノン機関あるいは他の殺害集団が、血を抜いた後、血の滴〈シズク〉がしたたる死体をレール上まで、Sたちタタキ仲間に運ばせたのか、という疑点も解明されなければならない。
【一行アキ】
下山総裁が失踪した日、通勤の車の中で、大西〔政雄〕運転手に洩らした「今朝は、佐藤さんに会いに行くんだ」という、佐藤栄作の秘書・大津正は、私もよく知る忠実なる佐藤家の執事であるが、彼の証言もある。
「下山さんが失踪された日、私は平河町の民自党本部から車で日比谷方面に向かっていた。議事堂付近にさしかかったとき、逆方向から平河町に向かって走ってくる自動車とすれ違った。その車の中には二、三人の男に左右と助手席から囲まれるような状態で、下山総裁が乗っているのを見た」
この大津証言が読売新聞に掲黻されたのは、事件発生三日目の七月八日であったが、大津正は十五年後(六四年)、TBSテレビの特別番組で、「あのとき私が目撃した人は、下山総裁に間違いありません。下山さんがいつも乗っている車ではなかったので変だなと思い、印象が深いわけです」と事実確認を行っている。
大津秘書は、佐藤栄作といずれが年上か識別しがたいほどの年配で、私は「佐藤栄作の忠犬ハチ公みたいな秘書だ」と思っていたが、大津秘書証言に間違いがないとすれば、車の中で下山総裁を取り囲んでいた三人が拉致者だったことになろう。
もし大津秘書がウソをついていたとすれば、大津秘書が佐藤栄作を庇わなければならない大きな秘密があったことになり、これはたいへんなことになるが、私が知るかぎり、佐藤栄作は、殺人に関わるようなことはしない人だ。
大津正証言を信じるとすれば、三越百貨店から下山総裁が何者かに拉致されたのではないかというサスペンスが浮上してくる。そうなると、平正一証言に出てくる五反野付近の目撃者証言は、末広旅館の女将〈オカミ〉証言も含めてすべて、幻の下山総裁を見たというべきなのだろうか、私はノーである。〈253~256ページ〉
大森実『日本はなぜ戦争に二度負けたか』(中央公論社、1998)から、「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅱ」を紹介している。本日は、その三回目。
朝日、読売両紙がやった紙面作成方向のように、検察と警視庁捜査二課(一課は自殺説に傾いていた)の他殺説を肯定する場合だが、私はまず、事件記者第一科として、「殺してトクをするのは誰だったか?」を考えることから、推理をスタートさせてみる。
犯行が、GHQが望んだかも知れない「共産党のコンスピラシー〔陰謀〕」を装う演出であったと仮定するとき、共産党はなぜわざわざ自殺を偽装するような殺害の演出をやる必要があったかを、考えよう。
九万五千人の首切りに悩んだ下山総裁が、自殺すること。それは毎日新聞の平正一デスク説のように、非常にあり得る推定であった。国鉄共産党フラクションが用意していたゼネストの起爆剤になり得る、格好の「自殺事件」となるが、共産党が、何をもって殺人という危険な謀略を試みる必要があったか?
当時は、その六ヶ月後に発生するコミンフォルムの「野坂批判」(後述する)で共産党が柔軟路線を批判される前であったし、共産党が人殺しをすると考えることのほうが不自然である。「下山事件」後に発生した、いずれも国鉄のクビ切りと関係があった「三鷹、松川両事件」の公判経過を追っていけば解決される問題である。
では、共産党を殺害者に仕立てて、国民に恐怖心を抱かせるという謀略で、下山総裁を殺害したかもしれない占領軍のある機関を想定するとき、そのようなコンスピラシーを実行できるのは、先に述べたように、鹿地亘を誘拐し、鹿地にスパイになれと強要したため、鹿地を自殺未遂に追いこんだGHQ対敵情報部・特殊工作隊のキャノン機関を措いて考えられないが、例えばキャノン機関を下山殺人の加害者と推定するとして、何が考えられるだろうか?
検察、捜査二課、そして朝日、読売両新聞の科学捜査面が割り出した死因――、下山総裁の亀頭部と睾丸部をブラック・ジャック様の凶器で殴って死に至らしめた犯人集団は、なぜ死体から血を抜き取って、他殺死体を轢断現場のレール上まで運んで、自殺を偽装する必要があったのか? という基本的な問題の解明が必要となるだろう。
下山総裁の体から血が抜かれていたために、死体にも遺留品にも生活反応が出なかったという、科学捜査の結果について異論はないとするとして、犯行集団が、共産党を犯人に仕立て上げたかったのであれば、殺して荒川放水路に放りこむ簡単な手段をなぜ選ばなかったのか、もっとはっきり共産党がやったんだと、誰にでも分かるようなトリックがあってよかったのではないか。
矢田、栗田両記者は、下り列車の逆方向の四十メートルも離れた枕木からルミノールの蛍光を発した血痕を採取して、東大法医学教室に検査を依頼したと言うが、DNAという進歩した血液測定法が法医学に採用されている今日でも、DNAは犯人を否定する決め手になっても、犯人断定に使うにはまだ問題を残している。
両記者が、列車の進行方向とは逆方向の枕木から採取した血痕が、下山総裁の血であったかどうかの決め手はない、というと両記者の努力には酷になるが、ではなぜ、キャノン機関あるいは他の殺害集団が、血を抜いた後、血の滴〈シズク〉がしたたる死体をレール上まで、Sたちタタキ仲間に運ばせたのか、という疑点も解明されなければならない。
【一行アキ】
下山総裁が失踪した日、通勤の車の中で、大西〔政雄〕運転手に洩らした「今朝は、佐藤さんに会いに行くんだ」という、佐藤栄作の秘書・大津正は、私もよく知る忠実なる佐藤家の執事であるが、彼の証言もある。
「下山さんが失踪された日、私は平河町の民自党本部から車で日比谷方面に向かっていた。議事堂付近にさしかかったとき、逆方向から平河町に向かって走ってくる自動車とすれ違った。その車の中には二、三人の男に左右と助手席から囲まれるような状態で、下山総裁が乗っているのを見た」
この大津証言が読売新聞に掲黻されたのは、事件発生三日目の七月八日であったが、大津正は十五年後(六四年)、TBSテレビの特別番組で、「あのとき私が目撃した人は、下山総裁に間違いありません。下山さんがいつも乗っている車ではなかったので変だなと思い、印象が深いわけです」と事実確認を行っている。
大津秘書は、佐藤栄作といずれが年上か識別しがたいほどの年配で、私は「佐藤栄作の忠犬ハチ公みたいな秘書だ」と思っていたが、大津秘書証言に間違いがないとすれば、車の中で下山総裁を取り囲んでいた三人が拉致者だったことになろう。
もし大津秘書がウソをついていたとすれば、大津秘書が佐藤栄作を庇わなければならない大きな秘密があったことになり、これはたいへんなことになるが、私が知るかぎり、佐藤栄作は、殺人に関わるようなことはしない人だ。
大津正証言を信じるとすれば、三越百貨店から下山総裁が何者かに拉致されたのではないかというサスペンスが浮上してくる。そうなると、平正一証言に出てくる五反野付近の目撃者証言は、末広旅館の女将〈オカミ〉証言も含めてすべて、幻の下山総裁を見たというべきなのだろうか、私はノーである。〈253~256ページ〉
大津正(おおつ・まさし、1909~1997)は、岸信介、佐藤栄作兄弟の秘書を務めたこちで知られる。下山事件当時は、佐藤栄作衆議院議員の秘書。
*このブログの人気記事 2024・12・15(9位のホンダN360は久しぶり、7・8・10位に極めて珍しいものが)
- GHQ民政局「調査を続行しても無駄骨だよ」
- 大森実「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅱ」を読む
- 定説を否定した黒川一夫著『赤穂事件』
- 大森実の「下山事件」論(1998)、その紹介の続き
- 脅迫に対する最善の対処法は、それと戦うことである
- 「シカタガナイ」は努力で克服できる
- 錦旗革命、その合言葉は「天皇―中心」
- 内村鑑三と正宗白鳥
- ホンダN360とホンダCB450
- 参謀本部の今村第二課長と相談しよう(池田純久)