礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

独立し、正直な知識人はいなくなってしまった

2024-12-05 00:04:55 | コラムと名言
◎独立し、正直な知識人はいなくなってしまった

 カレル・ヴァン・ウォルフレン著『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社、1994)の要所要所を紹介している。本日はその十一回目。
 第三部「日本はみずからを救えるか?」の第二章「思想との戦い」から、本日は、もう一箇所、次のところを紹介してみたい。

 優秀な頭脳・陶冶された精神・立派な学位を兼ね備えた人々は、特権階級を形成している。権力者は一般に、彼らと友好的関係を結びたがる。したがっていかなる社会でも、知識人たちにとっては、権力者のそばに居心地よい場所を占め、友好的な権力者が与えてくれるとびきりの特権を享受したいという誘惑が大きい。日本の知識人たちは、概してこの誘惑に負けてきた。許せる部分もある。彼らが初めて独立した階層を成したのは大きな社会変化のあつた明治時代であり、このとき彼らは、権力者と共同で、日本を近代世界に適応させる大事業に参加していたからだ。
 ものを考える人なら、いつの時代のどこの国の人でも、ある者に他の者を支配させる権力なるものは警戒しなければならない、と気づいてきた。日本の人も例外ではない。かなりの数の勇気ある知識人が、危険を覚悟で「危険思想」を広く唱えてきた。
 しかし、中江兆民・福沢諭吉・吉野作造・丸山真男といった人たちが守りつづけたこの伝統には、継承者があまりいなかった。今日では、名のある学者、ジャーナリスト、著述家で、日本の政治状況の核心部分を吟味する、独立し、かつ正直な知識人はいなくなってしまったようだ。知識人たちは、それをする責任を放棄してしまったかに見える。
【一行アキ】
 日本の多くの知識人は、管理者たち【アドミニストレーターズ】に誘い込まれて、既成秩序の宣伝活動【プロパガンダ】をさせられていることを、日本を変えたいと願う市民は忘れてはならない。
 このパターンは、大平正芳首相に助言を与えるためにできたブレーン・トラスト(専門家顧問集団)に始まる。佐藤誠三郎・香山健一〈コウヤマ・ケンイチ〉・村上泰亮【やすすけ】・公文俊平〈クモン・シュンペイ〉・西部邁【すすむ】といった学者たちが、官僚と自民党議員たちの仲間集団に組み入れられ、政治家のあいだでやるべき議論に代わって、自民党一党支配と官僚の権力をイデオロギー的に正当化する論理を発見してくれるだろうと頼りにされたのだ。
 八〇年代の前半には、当時の中曽根康弘首相の強力なお声がかりで、既成の体制を保守する大目的のために、知識人の第二の大動員がおこなわれた。京都に国際日本文化研究センターができたのはこの運動の一環だった。設立には多額の資金が注ぎ込まれている。
 外国と日本の学会が交流する場である同センターの表向きの目的は、日本文化の真髄を発見し、日本の最深層の動機を諸外国に紹介することだった。いまや珍しい独立した政治思想家・石田雄【たけし】は私にこう述懐した。「この研究所が日本文化の『ユニークさ』を強調すればするほど、その影響は宣伝くさくなって知的でなくなる」
 この種の体制派知識人が生み出すたわごとの一部は、ほとんど信じがたいものだ。たとえば、政府がスポンサーのこの研究センターで所長を務める梅原猛【たけし】の言っていることを考えてごらんなさい。〈272~273ページ〉

*このブログの人気記事 2024・12・5(8位になぜかヒトラー、10位になぜかもんぺ)
  • 「日本は調和のとれた国」は、大がかりな欺瞞
  • あなたは日本の変革に一役買うことができる
  • 1980年代後半、富の移転が起きた
  • 日本人の民主主義は中身のない貝殻のようなもの
  • 責任感はあってもアカウンタビリティがなかった
  • 逃れたい現実を直視するのは不愉快なことだ
  • 日本国民の生活状態は以前より悪化している
  • 映画『ヒトラー』(2004)を観て印象に残ったこと
  • 石原莞爾がマーク・ゲインに語った日本の敗因
  • もんぺも終戦後は影を潜めて来ました



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする