◎GHQ民政局「調査を続行しても無駄骨だよ」
大森実『日本はなぜ戦争に二度負けたか』(中央公論社、1998)から、「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅱ」を紹介している。本日は、その二回目。昨日、紹介したところのあと、一行アキがあって、そのあと次のように続く。
ここまで捜査の網が狭められてくると、もうあと一息だと、三連合捜査軍が凱歌を上げかけたとき、事件発生からちょうど五ヶ月を経た十二月四日、深夜のことであった。
警視庁の坂本〔智元〕刑事部長が、東京地検・馬場〔義続〕次席検事の私邸に足を運び、「警視総監の了解済みです。捜査二課長の吉武警部(辰雄)を、上野署の次席に栄転させることになりました」と頭を下げた。
馬場次席検事は大声を出すところであった。それは、警視庁捜査一課(強殺犯担当)が自殺説をとってきたのに対し、二課(知能犯担当)が東京地検刑事部とともに他殺説をとり、いよいよ大詰めの他殺犯容疑者の割り出しに向かって、追いこみに入ろうとしていた矢先、これは青天の霹靂というほかない突然変異であったからだ。
これより三ヶ月前の九月段階で、東京地検と警視庁捜査二課は、密かにGHQ民政局に呼ばれて、「調査を続行しても無駄骨だよ」と囁かれていたという事実があった。
警視庁から「下山事件特別捜査本部」の立て幕が下ろされたのであるが、容疑者はおろか、自殺とも他殺とも、事件は未解決のまま、発生後五ヶ月で幕を閉じたのが、わが国最大の迷宮入り事件となった国鉄総裁下山事件の後味の悪いフィナーレであった。
【一行アキ】
松本清張も追跡をやったし、幾人もの人が犯人割り出しの追跡作業を展開したが、総括して、私が言えることは、朝日新聞・矢田喜美雄記者に代表される「他殺説」と、毎日新聞・平正一〈タイラ・ショウイチ〉記者を軸とする「自殺説」の、全く相反する主張――、あえて言うなら、科学捜査と、聞きこみ捜査の二つの見解には、両者それぞれに説得力ある論拠があったと思われる。
自殺説と他殺説に割れたまま、事件は永遠に迷宮入りとなってしまったが、両者いずれも片寄った捜査ではなかった。朝日新聞は科学捜査だけに拠ったものではないし、毎日新聞も聞きこみ捜査に頼って科学捜査を無視したものではさらさらなかった。重点をいずれに置いたかの相違で、全く異なる結論が出されたのである。
例えば、矢田記者は、事件の幕が下りた後も、執拗な追跡を続けて、強盗前科があるSという土建業・現場監督と十回以上もインタビューを重ねて次のような証言をとっている。
「もう時効だから話すが、カネに目が眩んで盗品の荷運び話に乗った。高田馬場のタタキ(強盗)の溜り場の安宿で、前金で百円札五十枚もらって、七月五日朝十時に銀座の地下鉄改札口近くの喫茶店メトロに集まれということになった。時間通りメトロに行くと八人いた。ボスが仕事の分担を決めた。夜、荒川放水路北側の小菅刑務所横の土手に行け。自動車がきたら荷物を受取れという話だった。
夜九時半過ぎ、蒸し暑い夜だった。エンジンの音がしたので土手から下りると、黒い車が停まっていた。トランクの中から荷物が下ろされた。登山帽の背の低い男が、お前は前、お前は後ろだと運び位置を指示した。三人で運んだが、手に触れると生暖かい人間の体だった。生暖かく、ぐにゃぐにゃで摑まえ所がなく、やたらに重かった。ズボンをはいていたがバンドをしていなかったので、途中でズボンがずれ落ちてきたため、何度も太股〈フトモモ〉を抱え直さなければならなかった」
【一行アキ】
これはミステリアスな証言であるが、このS証言を信じるにしても、疑問はいっぱい残る。証言者は実名を出すことを拒んでいるし、ウラ打ちの物証を欠いているので、法廷の証拠力としては弱い。Sが仲間を庇っているにしても、この証言だけで、下山総裁がどこかで殴殺され、その死体が車で運ばれてきて、Sらが線路上に運んだということを、誰にでも信じさせる決め手にはならない。
自殺か他殺かで、自殺をとれば下山事件は解決される。国鉄九万五千人の大量首切りで、ノイローゼになった下山総裁が、D51651貨物列車に飛びこんだのだ、ということで一件落着となったはずだが、それにしても、下山総裁が、列車に飛び込まずに、レール上に身を横たえて死んだことに、疑問は残るだろう。〈250~253ページ〉
大森実『日本はなぜ戦争に二度負けたか』(中央公論社、1998)から、「国鉄総裁下山事件のミステリー Ⅱ」を紹介している。本日は、その二回目。昨日、紹介したところのあと、一行アキがあって、そのあと次のように続く。
ここまで捜査の網が狭められてくると、もうあと一息だと、三連合捜査軍が凱歌を上げかけたとき、事件発生からちょうど五ヶ月を経た十二月四日、深夜のことであった。
警視庁の坂本〔智元〕刑事部長が、東京地検・馬場〔義続〕次席検事の私邸に足を運び、「警視総監の了解済みです。捜査二課長の吉武警部(辰雄)を、上野署の次席に栄転させることになりました」と頭を下げた。
馬場次席検事は大声を出すところであった。それは、警視庁捜査一課(強殺犯担当)が自殺説をとってきたのに対し、二課(知能犯担当)が東京地検刑事部とともに他殺説をとり、いよいよ大詰めの他殺犯容疑者の割り出しに向かって、追いこみに入ろうとしていた矢先、これは青天の霹靂というほかない突然変異であったからだ。
これより三ヶ月前の九月段階で、東京地検と警視庁捜査二課は、密かにGHQ民政局に呼ばれて、「調査を続行しても無駄骨だよ」と囁かれていたという事実があった。
警視庁から「下山事件特別捜査本部」の立て幕が下ろされたのであるが、容疑者はおろか、自殺とも他殺とも、事件は未解決のまま、発生後五ヶ月で幕を閉じたのが、わが国最大の迷宮入り事件となった国鉄総裁下山事件の後味の悪いフィナーレであった。
【一行アキ】
松本清張も追跡をやったし、幾人もの人が犯人割り出しの追跡作業を展開したが、総括して、私が言えることは、朝日新聞・矢田喜美雄記者に代表される「他殺説」と、毎日新聞・平正一〈タイラ・ショウイチ〉記者を軸とする「自殺説」の、全く相反する主張――、あえて言うなら、科学捜査と、聞きこみ捜査の二つの見解には、両者それぞれに説得力ある論拠があったと思われる。
自殺説と他殺説に割れたまま、事件は永遠に迷宮入りとなってしまったが、両者いずれも片寄った捜査ではなかった。朝日新聞は科学捜査だけに拠ったものではないし、毎日新聞も聞きこみ捜査に頼って科学捜査を無視したものではさらさらなかった。重点をいずれに置いたかの相違で、全く異なる結論が出されたのである。
例えば、矢田記者は、事件の幕が下りた後も、執拗な追跡を続けて、強盗前科があるSという土建業・現場監督と十回以上もインタビューを重ねて次のような証言をとっている。
「もう時効だから話すが、カネに目が眩んで盗品の荷運び話に乗った。高田馬場のタタキ(強盗)の溜り場の安宿で、前金で百円札五十枚もらって、七月五日朝十時に銀座の地下鉄改札口近くの喫茶店メトロに集まれということになった。時間通りメトロに行くと八人いた。ボスが仕事の分担を決めた。夜、荒川放水路北側の小菅刑務所横の土手に行け。自動車がきたら荷物を受取れという話だった。
夜九時半過ぎ、蒸し暑い夜だった。エンジンの音がしたので土手から下りると、黒い車が停まっていた。トランクの中から荷物が下ろされた。登山帽の背の低い男が、お前は前、お前は後ろだと運び位置を指示した。三人で運んだが、手に触れると生暖かい人間の体だった。生暖かく、ぐにゃぐにゃで摑まえ所がなく、やたらに重かった。ズボンをはいていたがバンドをしていなかったので、途中でズボンがずれ落ちてきたため、何度も太股〈フトモモ〉を抱え直さなければならなかった」
【一行アキ】
これはミステリアスな証言であるが、このS証言を信じるにしても、疑問はいっぱい残る。証言者は実名を出すことを拒んでいるし、ウラ打ちの物証を欠いているので、法廷の証拠力としては弱い。Sが仲間を庇っているにしても、この証言だけで、下山総裁がどこかで殴殺され、その死体が車で運ばれてきて、Sらが線路上に運んだということを、誰にでも信じさせる決め手にはならない。
自殺か他殺かで、自殺をとれば下山事件は解決される。国鉄九万五千人の大量首切りで、ノイローゼになった下山総裁が、D51651貨物列車に飛びこんだのだ、ということで一件落着となったはずだが、それにしても、下山総裁が、列車に飛び込まずに、レール上に身を横たえて死んだことに、疑問は残るだろう。〈250~253ページ〉
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