◎映画『無法松の一生』(1943)と女優・園井恵子
今月九日のコラムで、『ゴシップ10年史』という本の冒頭部分を引用した。その中に、「八月六日、広島に原爆が落ち、移動演劇さくら隊にいた丸山定夫、園井圭子らが死去、十五日は終戦となる」という一節があった。
「移動演劇さくら隊」については、注記が必要だと思ったが、つい怠ってしまった。
その後、今月二一日の毎日新聞「そして映画があった」欄で、『無法松の一生』(一九四三)が採りあげられた。そこに、「移動演劇『桜隊』」という言葉が出てくる。広島市内にある「移動演劇さくら隊原爆殉難碑」の写真も載っている。この映画で吉岡大尉夫人を好演したのが、移動演劇さくら隊にいた園井恵子だったからである。
少し引用してみよう。執筆は、毎日新聞社論説室専門編集委員の玉木研二さんである。
製作は43年2月から8月にかけて行われた。2年後の45年8月6日、吉岡大尉夫人役の園井恵子は移動演劇「桜隊」の女優として広島市におり、原爆投下を受けた。兵庫県の縁者のもとに逃れるが、原爆症を発症して死亡する。
宝塚歌劇から新劇、そして「無法松」で映画女優として注目、評価され、先を期待されていた。
やはり被爆後死亡した桜隊リーダーの丸山定夫は、戦前の新劇界の担い手だった。余談ながら、42年5月、丸山は文学座が芝居にした「富島松五郎伝」に松五郎役で客演した。戦争で男優が足らなかった。夫人役は杉村春子だ。
後年、ドキュメンタリードラマ映画「さくら隊散る」(新藤兼人監督)で語った杉村の回想によると、松五郎が思わず夫人の手を握り、ハッとして放し、逃げるように辞去して二度と夫人の前に現れない、という場面があった。対米戦初期で当局の目も少々緩かったのかもしれない。
「移動演劇さくら隊」は、「移動演劇桜隊」と表記されることもあるようだが、どちらが正しいのかは不詳。原爆殉難碑には、「移動演劇さくら隊」と彫られている。
女優としての園井恵子、あるいは被爆した園井恵子が息を引き取るまでなどについては、インターネット上に多くの情報があるので、紹介を省く。
映画『無法松の一生』(一九四三)は、昨年、ビデオで鑑賞した。傑作だった。感動した。松五郎(無法松)を演じた坂東妻三郎は、もちろんよかった。月形龍之介の演技も光っていたと思う。日本映画史上に輝く名作だと思う。
今日のクイズ 2013・2・25
◎映画『無法松の一生』(一九四三)で、吉岡大尉の一人息子を演じた沢村アキヲは、後に芸名を変えます。何と変えたでしょうか。
1 津川雅彦 2 加藤大介 3 長門裕之
【昨日のクイズの正解】 3 徳富蘇峰■本名の徳富猪一郎で、『支那問題解決の途』に、巻頭文を寄せています。
今日の名言 2013・2・25
◎これほど愛され続けた“市井無頼の徒”はいまい
玉木研二さんの言葉。何度も映画化・演劇化された『無法松の一生』の主人公・松五郎についてのコメント。2月21日の毎日新聞「そして映画があった」欄より。上記コラム参照。
*ブログ開設以来アクセスが多かったコラム* ブログ開設以来、アクセス数が多かった日をランキングしてみました。順に10位まで挙げます。あいかわらず、反応は読めません。特に、今月14日、23日のコラムに、アクセスが多かったのは意外でした。
1位 昨年7月2日 中山太郎と折口信夫(付・中山太郎『日本巫女史』)
2位 本年2月14日 ナチス侵攻直前におけるポーランド内の反ユダヤ主義運動
3位 本年1月2日 殷王朝の崩壊と大日本帝国の崩壊(白川静の初期論文を読む)
4位 本年1月10日 『新篇路傍の石』(1941)における「文字の使用法」
5位 本年1月25日 品川の侠客・芳賀利輔がおこなった炊き出しの顛末
6位 本年1月26日 土岐善麿の国語表音化論に対する太田青丘の批判
7位 昨年9月20日 柳田國男は内郷村の村落調査にどのような認識で臨んだのか
8位 昨年9月17日 内郷村の村落調査の終了と柳田國男の談話
9位 昨年12月31日 家永三郎の「天皇制と日本古典」にみる国家と宗教
10位 本年2月23日 『支那問題解決の途』(1944)に解決の道は見えない