礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「日本が二つに割れる」ことを恐れた結果の対外戦争

2013-02-17 07:58:54 | 日記

◎「日本が二つに割れる」ことを恐れた結果の対外戦争

 昨日に続き、高木惣吉『連合艦隊始末記』(文藝春秋新社、一九四九)にある文章を紹介する。
 同書は、「連合艦隊始末記」、「日本陸海軍抗争史」、「政治・戦争・人」の三部からなるが、その「政治・戦争・人」に次のような文章がある。

 昭和十五年の夏、近衛〔文麿〕第二次内閣で遂に一旦消滅していた日独同盟論がむし返されて、時の及川〔古志郎〕海相、豊田〔貞次郎〕次官は遂にこれに賛成してしまつたのである。
 当時は既に欧洲戦がはじまつていたので、今更それにまきこまれるという危険も遠のいていたし、また独ソ不侵略条約のあとのことで、ソ連の挾みうちとはあべこべに、〔ドイツの〕リッベントロツプ外相は日ソ間の『忠実なる仲買人』となることを買つてでていた位で、ゆくゆく日独ソの提携によつてアメリカの参戦をくいとめ、日華事変を解決しようという、尤もらしい理屈であつたのである。
 終戦後その頃のことを回顧し及川は、海軍が反対を固執すれば、輿論〈ヨロン〉が軍事同盟に傾いてしまつた当時の実情から『日本が二つに割れる』ことを恐れて忍びなかつたというのである。
 最近ある総合雑誌によせた岡田〔啓介〕前首相の回顧談に、
『日本は今度の戦争で敗けたのだし、又、その戦争にいたる動機や、敗因のなかには、二・二六事件〔一九三六〕に現われたような考え方、行動、勢力といつたものが大きく働いている。しかし、同じ敗戦にしても、日本が二つに割れることなしに、やはり一つの日本としてこの不幸と艱苦〈カンク〉を共にしえていることは、せめてもの幸せではないかと考えられる。わたしはそれを思うと、やはり内乱に至らなかつた、又、さうさせなかつたことをよかつたと思うのです』
 というのがあつた。この思想は及川の述懐と同じもので、征韓論や、閔妃〈ビンヒ〉殺害〔一八九五〕や、厦門〈アモイ〉事件〔一九〇〇〕や、満洲事変〔一九三一〕と共に、国内の対立や分裂をふせぐためには陰謀、出兵、侵略、敗戦もまた已むをえないとする考えかたで、その底流において全く合致することに注意しなければならぬ。大久保〔利通〕が十年の内乱をモノともせず、命をかけて断行した国内の整備統一、山本(権)〔山本権兵衛〕が陸軍との正面衝突を覚悟して日清、日露の開戦前に、朝鮮派兵に反対し、厦門占領の陰謀を抑えたその気魄とは、正に雲泥のちがいと思う。
 第一次大戦の初頭、弾薬の欠乏に関連して弾薬委員会(英軍需省の前身)の設置を叫んだロイド・ヂヨージも、文官の容喙を斥けたキッチナーも、共に職を賭しで論争した。ガリポリ上陸戦〔一九一五〕のことではフイッシャーもチャーチルも双方とも、その地位を去らねばならなかつた。
 フランスではポアンカレとクレマンソウとは、互に白髪頭をかゝえて摑みあわんばかりに争つたこと度々であつた。またクレマンソウとフオッシュは、後者が死んだあとまでも死屍互に戦うという凄じさで論争をつゞけている。
 これらの喧嘩や論争ははたして英仏の弱点と見るべきであろうか。むしろその国民の大事に対する真剣味を示すというべきではなかろうか。【以下、略】

 日本が戦争に突入したのは、「日本が二つに割れる」のを避けるためであり、やむをえなかったというのが、岡田啓介元首相や及川古志郎元海相の認識であるが、これに対して高木惣吉は、たとえ内乱になったとしても、対外戦争は避けるべきだったと主張しているのである。
 文中、「十年の内乱」とあるのは、明治維新以来、西南戦争の終結にいたるまで続いた内乱や政府転覆陰謀を指すものと思われる。

今日のクイズ 2013・2・17

◎ガリポリについて正しいのはどれでしょうか。

1 ダーダネルス海峡に面した半島の名前
2 ダーダネルス海峡に浮かぶ小島の名前
3 ダーダネルス海峡に面した都市の名前

【昨日のクイズの正解】 2 フランス領インドシナ ■漢字で書くと仏蘭西領印度支那、略して仏印。「金子」様、正解です。

今日の名言 2013・2・17

◎内乱に至らなかつた、又、さうさせなかつたことをよかつたと思う

 岡田啓介元首相の言葉。高木惣吉『連合艦隊始末記』(文藝春秋新社、1949)から重引。上記コラム参照。岡田啓介は、二・二六事件当時の首相で、事件に際し、九死に一生を得たことで知られる。

コメント (1)
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