◎敗戦の前年に出た前田勇の『児戯叢考』
前田勇の『児戯叢考』は、敗戦の前年に出ている。正確に言えば、一九四四年(昭和一九)五月一五日に発行されている。戦中に、こうした研究の出版が実現したのは、ある意味では奇跡的なことであろう。
参考のため、本日は、同書の「序」を紹介しておくことにしたい。
序
児戯といふ語は、普通、価値なきしわざの意に用ひられてゐる。ところが安ぞ〈イズクンゾ〉知らん児戯こそ全く伝統そのものであつた。山東京伝は骨董集の中で繰返し繰返しはかなき児戯の思ひもよらず源遠きに驚いてゐる。しかし私の驚きが、どうしてそれに劣らう。私は、実際、かつば驚きかつは呆れつゝ夢中でこれを書上げた。これに研究などと銘打つのは、大それたことであるかも知れない。しかし他日私がこれを研究にまで高め得たとしても、恐らく私はたゞこの驚異を深めるだけであらう。これは一知半解の書であるかも知れない。しかも仮令〈タトイ〉私が洽聞〈コウブン〉強記、博引旁証にこれ努め得たとしても、この詠歎はますます深まつて行くだけであらう。
埒〈ラチ〉もなきしわざのかへ名に呼ばれつゝ、此の世に誰か一人でも児戯に慰められず、児戯に育てられなかつた者があらうか。しかも自分を育てゝ呉れ慰めて呉れたその児戯は、自分の父母をも、父母の父母をも、何代か前の幾世か昔の父母をも慰め育てたものではなかつたか。この児戯一つに同胞の、祖先の、血が貫流してゐる。古い書物の序文などには、よく、おのれひとりの心遣りぐさなれば他人に見すべきものでないとか、かいやり〔払いのけ〕捨つべきものであるとか書いてある。私もおのれひとりの心遣りぐさで書いたのである。しかし私にはかいやり捨つべき気持はない。もつともつとしらべて見たいと思ふばかりである。もつともつとしらべて、この胸一つに包み切れない驚異と詠歎をうたひ上げ、価値なきしわざどころか児戯こそ価値そのものなる事を、人々に訴へたいと思ふばかりである。
これを世に出すのは聊か〈イササカ〉時機尚早の感がある。もつと綿密に手文庫の書抜き照らし合はせて見たい。しかしさうして見たとて、白いを黒いと書改めねばならぬ程の資料も出て来さうにはない。この辺で博雅の叱正を乞ふのも私としてはよい勉強である。
時局艱難の折柄、かうした貧しい著作の出版を言下にひきうけて下さつた湯川弘文社主湯川松次郎氏の御厚意に、感謝し切れないものを感ずる。
昭和十九年新春大詔奉戴日 前田 勇
出色の名文だと思う。また、この文章には、ほとんど戦時色というものがない。あえて挙げれば、「時局艱難の折柄」と「大詔奉戴日」〈タイショウホウタイビ〉の二箇所か。なお当時、「大詔奉戴日」という行事が、毎月八日に設定されていた。したがって、この「序」が草されたのは、昭和一九年一月八日である。