礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

よく戦争をする国は斉・晋・楚・越である(墨子)

2015-09-19 04:41:50 | コラムと名言

◎よく戦争をする国は斉・晋・楚・越である(墨子)

 本日も、『墨子』の「非攻」論(反戦論)を紹介する。引用は、野村岳陽訳著『現代語訳 墨子・揚子』(坂東書院、一九三〇)から。
 昨日は、「非攻 下」の最初の部分を紹介したが、本日は、それに続く部分を紹介する。かな遣いと漢字は、現代風に直している。句読点の位置は原文のまま。ただし、テンをマルに変えたところがある。

 これから戦争のお互いに不利なことを一言しようが、戦争を事とする者は「大将勇猛ならず、軍士奮発せず、武器鋭利ならず、強練熟せず、師旅多からず、兵卒和睦せず、威勢の強大ならざること、また、城を囲んで持久の力なく、戦争が疾速におこなわれず、捕虜を繋ぐこと厳ならず、心を確立すること鞏固〈キョウコ〉でなければ、同盟の諸国が疑心を生ずるであろうし、同盟国が疑心を起こして信頼しなければ、敵はその隙に乗じて、種々と謀慮を廻らして、これに対応する味方の心意が疲れてしまう」というが、このような条件を全部具備して戦争をしようとしたならば、国家は条件を満たしかねて、遂には百姓までも、その業務を捨てて、軍事に奔走しなければならなくなるであろう。試みにそれを細説すると、ここに攻伐を好む国がある。もし国中から出兵するとすれば、上に立つ吏士は数百人、これに従う庶人は数千人、兵卒は十万人もあって、それでようやく、動員ができる。いよいよ戦争がはじまると、長ければ数年、短くても数か月の間は、国君は政〈マツリゴト〉を聴く暇〈イトマ〉なく吏士は官府を治める暇なく、農夫は耕作の暇なく、婦人は紡績裁縫の暇がない。これすなわち国家が手が廻りかねて、人民がその業務を失うものではないか。その上また、軍馬の疲弊損傷、帷幕〈イバク〉や天蓋〈テンガイ〉から、三軍の用うる器具や、甲兵の設備に至るまで、ひと戦争にせいぜい五分の一も満足に残ればよいほうである。かつまた、軍役に使われて炊事や飼馬に従事する役夫〈エキフ〉も、あるいは途中で散亡し、あるいは、道路が遼遠で、兵糧が続かず、あるいは飲食の時間が不定なために、餓えたり、こごえたり、ないし疾病〈シッペイ〉に罹って、道路に倒れ、溝壑〈コウガク〉に転ずるものが無数にできる。人類の不利たるやいうまでもなく、天下の大害である。ところが、今の王公大人は、皆それをやりたがる。これすなわち、万民を賊滅することを楽しむもので、彼らが義を好むという名義と背馳〈ハイチ〉するものである。見渡すところ、今天下で、よく戦争をする国は、斉・晋・楚・越である。もしこの四国に、意を天下に得て、思い通りに振る舞わせたならば、おのおのの国民を十倍に増しても、侵略した広大な土地を耕作しきれないであろう。それは要するに、人口が足りなくて、土地が余ってるからであるが、今また、そのあまりある土地がほしさに戦争をして、かえって不足している人民を損傷するのは、取りも直さず、足らざるをかいて、あまりあるを重ねるものである。【以下略】

 墨子は反戦論者であるが、同時に軍事に通じていた。思想家というよりは、軍事専門家、軍事技術者であって、「墨家」という軍事専門家、軍事技術者の集団を率いていた。強国が弱小国を侵略しようとしているような場合は、弱小国に味方し、侵略を防いだという。軍事に通じていながら反戦論を唱えた、というより、軍事に通じていたからこそ反戦論を唱えたのである。思想家としても傑出したものを持っていたが、ただの思想家ではない。
 墨子と墨家の存在は、ジェイコブ・チャン監督の映画『墨攻』(日中韓合作、二〇〇六)によって、かなり知られるようになった。この映画の原作は、酒見賢一の小説『墨攻』(新潮社、一九九一)、および、それをマンガ化した久保田千太郎脚本・森英機作画『墨攻』(小学館、一九九二~一九九六)である。
 私は、マンガ、小説、映画の順に見たが、マンガが一番よかったような気がする。ちなみに、マンガ、映画とも、アクションが中心で、墨子あるいは墨家の「思想」の紹介という点では、十分でなかった。酒見賢一の小説『墨攻』が、墨子あるいは墨家の思想を、どのように紹介していたかについては、再読したうえで、コメントしたい。

*このブログの人気記事 2015・9・19(9位にきわめて珍しいものがはいっています)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする