◎結城無二三と結城禮一郎
先月一八日、鵜崎巨石氏のブログで、「結城禮一郎著『旧幕新撰組の結城無二三』」と題する記事を拝読した。この本(中公文庫、一九七六)は、持っているが読んでいなかった。持ってはいるが、どこかにしまい忘れて、すぐには出てきそうもなかった。
ところが、たまたま昨日、発見した。
一読して、非常に興味深い内容であった。日本の民俗学の祖とされる山中笑〈エミ〉=山中共古〈キョウコ〉が出てきたのが意外だった。ちなみに、主人公の結城無二三〈ユウキ・ムニゾウ〉も、山中笑も、明治期、キリスト教の伝道にたずさわっている。
本書の著者・結城禮一郎は結城無二三の子である。巻末の「解説」を担当している森銑三によれば、結城禮一郎は、「文の人」であり、「弁の人」でもあったという。結城禮一郎の講演を聞いた桃川如燕という講談師が、「かようなお話のお上手な方のあるのを、これまで存じませんでした」と言ったという話がある、という。
結城禮一郎は、もともと「弁の人」であって、その「弁」を活かして、「文」にも長ずるようになったのではあるまいか。もちろん、その逆もありうるが、とにかく、本書『旧幕新撰組の結城無二三』の「語り口」は傑出している。この本は、内容もよいが、それ以上に「弁」がすばらしい。
サンプルとして、本書の「まえがき」に相当する文章を引用してみる。
お前たちのおじい様
――旧幕新撰組の結城無二三――
お父さん 手記
お前たちのおじい様がお亡くなりになってからもう十三年に在る。建ちゃんや英五さんは無論お顔をも知らないし、閑野〈シズノ〉や平四郎もおそらく記憶【おぼ】えてはいないだろう。十年といえば一ト昔〈ヒトムカシ〉だ。その時「注射はもう御免だ、痛いばかりで無益【むだ】だから」とおっしゃったのを、「今慎太郎がまいります、待っていて下さい」と、申し上げたら、「そうかそれじゃアもう一本やるかなア」とお笑いになり、そして慎太郎が来ると「おお慎太郎か、よく来た、俸くなれよ」とおっしゃって手をお握りになった、その慎太郎すら今では記憶がかすかになっていることだろう、それで今日は一つお父さんが、おじい様のことをゆっくり一同【みんな】にお話して上げようと思う。
おじい様は偉い方だった。そしてまた善い方だった。実際お前たちが知っておくべき方、知っておかねばならぬ方なのだ。世が世ならば一国一城の主〈アルジ〉ともなるべき人で、しかもそれが失敗したからといって、少しも天を怨まず人を咎めず〈トガメズ〉、静かにその運命を楽しみながら、このお父さんのために残りの生涯の全部を犠牲にして下さったのだ。お前たちが大きくなってもし少しでもお父さんに感謝すべきことがあるとするなら、それは当然すべておじい様に振り替えらるべきもので、お父さんの今日あるはまったくおじい様のおかげ、おじい様の大きな愛を感ずることがなかったなら、お父さんは本当にどんなになっていたか分らないのだ。
足らないところもあったろう、間違ってたところもあったろうが、しかしその一生を通じて、常に「爾【なんじ】の隣を愛し」身を殺して仁をなしていた点については、おじい様に接触した人のほとんどすべてが一様にこれを認めこれを徳としている。お前たちはこういう人格をそのおじい様に持ち得たことを本当に名誉と思わねばならぬ。どれ、それではそろそろお話を始めよう。
「十年といえば一ト昔だ。」のあと、いきなり、「その時」という言葉が来る。これは、「文」を書きつけている者には、できない芸である。臨終のときということはわかるが、これは「文脈」でわかるのではなく、「弁脈」でわかるのである。結城禮一郎が、もともと「弁の人」であったと思う所以である。
参考までに、原本(玄文社、一九二四)ではどうなっていたかも紹介したい。原本は、総ルビになっているが、ルビは省略する。
お前達のおぢい様
旧幕新撰組の結城無二三
お父さん 手記
御前達の祖父様が御亡くなりになつてから最早十三年になる。建ちやんや英五さんは無論御お顔をも知らないし、閑野や平四郎も恐らく記憶えては居ないだらう。十年と云へば一ト昔だ。其の時『注射はもう御免だ痛いばかりで無益だから』と仰やつたのを、『今慎太郎が参ります待つて居いて下さい』と、申上げたら、『左様か其れぢやァもう一本やるかなァ』と御笑ひになり、而して慎太郎が来ると「おゝ慎太郎か、能く来た、偉くなれよ」と仰やつて手を御握りになつた、其の慎太郎すら今では記憶がかすかになつて居る事だらう、其れで今日は一つお父さんが、祖父様の事をゆつくり一同にお話して上げようと思ふ。
祖父様は偉い方だつた。而して又善い方だつた。実際お前達が知つて置くべき方、知つて置かねばならぬ方なのだ。世が世ならば一国一城の主ともなるべき人で、然かも其れが失敗したからと云つて、少しも天を怨まず人を咎めず、静にその運命を楽みながら、此のお父さんの為めに残りの生涯の全部を犠牲にして下さつたのだ。お前達が大きくなつて若し少しでもお父さんに感謝すべき事があるとするなら、其れは当然すべて祖父様に振り替へらるべきもので、お父さんの今日あるは全く祖父様の御かげ、祖父様の大きな愛を感ずる事がなかつたなら、お父さんは本当に何んなになつて居たか分らないのだ。
足らない処もあつたろう、間違つてた処もあつたらうが。然かし其の一生を通じて、常に『爾の隣を愛し』身を殺して仁をなして居た点に就ては、祖父様に接触した人の殆んど凡てが一様に之れを認め之れを徳として居る。お前達は斯様云ふ人格を其の祖父様に持ち得た事を本当に名誉と思はねばならぬ。どれ其ではそろそろ御話を始めよう。
最後の段落の最初、「足らない処もあつたろう、間違つてた処もあつたらうが。」と、マルで終わっている。これも、「文」を書きつけている者には、できない芸である。ここで、「弁」は一瞬、切れている。切れているから、そのあと、「然かし」と続くのである。この呼吸が、校訂者には通じなかった。だから、中公文庫版では、マルがテンに校訂されている。