礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

マックアーサー元帥の手は震えていた

2016-09-02 04:49:00 | コラムと名言

◎マックアーサー元帥の手は震えていた

 本日は、降伏文書調印式があった日なので、それに関連する資料を紹介したい。古本屋で入手したスクラップブックに貼ってあった新聞記事で、新聞名、掲載日時などは不明。
「私の見たマックアーサー元帥 ⑦」として、「前極東空軍司令官・大将/ジョージ・ケニー」が、降伏文書調印式の日のことを回想している文章である。

私の見たマックアーサー元帥 ⑦
 前極東空軍司令官・大将
 ジョージ・ケニー

元帥の手もふるえる
 ミズーリ号上の劇的調印

一九四五年八月四日、マックアーサー元帥は、いまワシントンから着いたばかりの電報を私に渡した。その電報は八月六日広島に原子爆弾を落すことをわれわれに通知したものであった。しかしわれわれは絶対必要がなければ、原子爆弾を日本に対し使わぬよう望んでいた。過去二カ月に傍受した情報から判断すると、日本は今にも降伏することが明らかになったからだ。戦争初期の訓練の行届いた操縦士や爆撃機はなくなってしまっていた。日本の陸軍の様子はよくわからないが、その精営部隊はジャングルの中や米軍が素通りしてしまった西太平洋の島々の上でいたずらに朽ち果てていた。マックアー元帥は八月一日私に、十一月一日と予定されている日本本土上陸作戦はやる必要はあるまい。戦争は二週間以内に間違いなしに終ると語った。
マックアーサー元帥は八月三十日厚木に着陸、越えて九月二日には東京湾の米戦艦ミズーリ号上で降伏文書の調印式が行われた。十一名からなる日本側降伏施設がミズーリ号のげん側〔舷側〕を上って来て降伏文書をのせてあるテーブルの前へ四角に並んだ。そのうちの四名は文官で重光〔葵〕外相がその首席であった。四人のうち三人はシルクハットを被り、こざっぱりとしたフロックコートにしまズボンといういでたち、あとの一人は帽子を被らず白い平服を着ていた。これはみすぼらしい軍服を着た七人の軍部使節団とは奇妙な対照をなした。元帥はサザーランド参謀長と副官を従え、テーブルの日本使節団と反対側におかれたマイクのところへ活発に歩いて行った。元帥のすぐうしろには各連合国の代表あるいは代理者が従った。
マ元帥の声は清らかであった。元帥は手に一枚の草稿を持っていたが、その手はかすかにふるえていた。【以下、次回】

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