◎蓑田胸喜の空疎な文章に懲りる
一昨日からの続きである。蓑田胸喜〈ミノダ・ムネキ〉の『ナチス思想批判』(原理日本社、一九四〇)から、「九、『マイン・カムプ』の日本民族論批判」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。一昨日、紹介した部分のあと、改行せずに、次のように続く。
即ちローゼンベルクは
『それ故イエスは、あらゆる基督教会の主張にも拘らず、吾々の歴史の旋回軸点を意味する。従つて彼は今日に至るまでも、住々人をして慄然たらしむる如き歪曲に於いてではあるが、欧羅巴の神となつた。若しかのゴーチツクの大伽藍を建て、またレムブラントの絵を創造せしめた確乎たる人格感が今一層明瞭に一般の意識に浸透し得るならば、吾々の全風教を動かすやうな新しい浪が起るであらう。』(三一一頁)
とやうに、その燃ゆる反猶太情熱にも拘らず、猶太人たるイエスを「吾々の歴史の開展枢軸」と呼びまた『欧羅巴の神』と崇めてゐるのである。『新しい再生せるゲルマン的人間』がゲルマン史上『始めて』起ち現はれ、また『獨逸後代の批判哲学』の本質をも意識的に予料し得たのは、猶太人イエスの感化によつてゞあつたことを承認する客観的態度と求道〈グドウ〉的精神とは、そのゲルマン民族優越論に更に一層広き反省の機会を期待せしむるのである。近代の自然科学にしても、決してゲルマン民族の独創物でないことはいふまでもない。
ローゼンベルクはまた
『宗教的な心情は往々言明されずに存在してゐるものであるが、かかる場合でもやはり民族精神の全雰囲気を顕現するものである。……かくの如き気分から、始めて聖者や偉大なる自然探求者や哲学者や道徳的価値の説教者や、偉大なる芸術家は発生する。』(二八八頁)
といひ、かゝる「宗教的心情」または『民族精神の全雰囲気』『無形式ながら唯一の生産能力ある気分』こそ『人間の精神的な、唯一の創造的生源力』であると反覆力説してゐるのである。それ故ローゼンべルクにとつては、根源的な神話的精神、宗教的心情がヒツトラー総統のいふ『芸術、科学及び技術』をも生み出す母胎であるから、一つの民族の優劣を計る尺度は、根元的に『神話』であり『宗教』である。
『ある人種の窮極の可能なる知職は、既にその最初の宗教的な神話の中に含まれてゐる。而してこの事実の承認は、人間の窮極的な本来の叡智である。ゲーテは、彼の奇蹟的な方法に於いて、知職は吾々にとつて常に新しきもの、未だ存在しなかつたものと云ふ気持を起させるが、反之〈コレニハンシテ〉叡智は一種の記憶であるやうな気持を起させると云つてゐる。』(五三九・五四〇頁)
といふローゼンベルクの言葉は、我等に全的共嗚を覚えしむる窮極的叡智的のものである。彼がその代表著作に『二十世紀の神話』といふ表題を冠した思想的性格の必然を思はしめらるゝのである。何人〈ナンピト〉にもせよ、彼がかくの如き思想法・世界観を持して、世界現勢に於ける日本の国威の基く日本の神話と歴史とに就き初歩的知識でも得た場合には、驚嘆して恭敬の態度を示すであらう。実際においてローゼンベルクは日本に就いては故若宮卯之助〈ワカミヤ・ユウノスケ〉氏を支那人とする如き誤〈アヤマリ〉を侵してはをるが、それら以上は余りいはず、白紙的態度を示してゐるのは十五年前執筆当時無知識のために臆断を避けたのであらう。『人種魂』といひ『民族精神』といふ語によつて感得せしめらるゝ根源的綜合的見地から評価することなく、派生的分析的なるものによつて日本民族を断定しようとするならば、それは単に事実認識上の過誤に止まらず、認識原理そのものゝ欠陥を露呈するに至るべきである。
この蓑田胸喜という人の文章を真面目に読んだのは、今回が初めてであるが、実に空疎な文章だと思った。難しい言葉を並べているが、伝わってくるもの、響いてくるものがない。このブログを開始して以来、書き写しながら、これほど虚しく感じたことはなかった。「懲りた」という感じである。
ヒトラーやローゼンべルクを批判すると称している割には、結構、それらに惹かれているようなところもある。特に、ローゼンべルクの一部の言葉に対しては、「我等に全的共嗚を覚えしむる窮極的叡智的のもの」などと激賞している。いったい、この人は何が言いたいのだろうか。
また、本日、引用した箇所の最後で、「しようとするならば~である」という言い回しを使っている。中公新書『ヒトラー演説』の著者・高田博行氏は、同書において、こうした言い回しは、ヒトラーがその演説において好んで使ったものだと指摘していた。ヒトラーからの影響なのかどうかは不明だが、ローゼンべルクも、この言い回しを使っている(今回、蓑田が引用している最初の文章)。
批判しようとしている対象の言葉に惚れこんだり、その言い回しに影響されるというのは、いかがなものか。蓑田胸喜という人について、よく知らずに言うのは、どうかと思うが、この思想家から学ぶものは、あまりないという感を強くした。
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