礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「親族相続法」公布から一月半、満州国は滅んだ

2017-12-14 02:09:51 | コラムと名言

◎「親族相続法」公布から一月半、満州国は滅んだ

 昨日の続きである。『法令用語の改正』(明治図書出版株式会社、一九五五)から、第四章「法文の口語化運動」の4「法律文」の一部を紹介している。
 昨日、紹介した部分のあと、改行して、次のように続く。

これに対してわたくしどもは,
(1) 法文を口語体にしたからといって法の威厳を損ずるものではない。最初は奇異に見えるかもしれないが,ならわしの問題で,慣れれば文語体の法文のほうが奇異に見える。それは,昔のそうろう文の法文が奇異に見えるのと同じである。
(2) 法文の口語化だけで法文がわかりやすくなるものではないが,少なくともこれにより,むずかしい文字を用いず,言いまわしも平易にするようになり,法文を平易にする機運を作ることができる。
(3) 文語体の法文の規格はだんだん作っていけばよい。
(4) 全部の法律につき一時に口語化が行えないとするならば,国民生活に密接な関係のある親族相続法のような法律から始めればよい。
(5)  口語化は,公文書が先だ法文が先だとお互に譲り合っていてはいつまでたっても実現できない。どちらが先でもよい。
と主張した。司法部では前例になく全課長以上の会議を開いた。わたくしの主張は受け入れられなかった。もうそのころから,それが理論の問題を離れて,政治問題となっていた。四面楚歌,孤立無援。しかし,司法部ではわたくしの立場を考え,口語体にするかどうかの決定を留保して,総務庁(内閣)の決定に任せ,総務庁でも各部(省)の代表者を集め会議が開かれたが,口語体へ踏み切るだけの決心がつかなかった。そして時機がまだ早いとして,妥協策として,別に法文の平易化についての総務庁の訓令を出すことにして,親族相続法はきわめて平易な文語体にするということになった。しかし,そのころはすでに口語体のままで長く審議が続けられ,口語体の法案がほぼ完成していた。この法律は,昭和20年〔康徳一二年=一九四五〕7月1日に公布されたが、口語体の原案を,最後に文語体になおしたのであるから,語尾を文語体にしただけで言いまわしなどは口語体のままであった。それが終戦前1月半〈ヒトツキハン〉前のことである。この法文は,これまでの法文に比べて,多くの特色があった。
(1) 言いまわしは口語体で、名詞で動詞に用いることのできるものは,すべて動詞として用い,たとえば「結婚を為す」は「結婚する」,「弁済を為す」は「弁済する」とした。
(2) 1字でたりるものは2字重ねて熟語とすることを避けた。たとえば,「経過する」は「過ぎる」,「違反する」は「反する」,「分明する」は「明らかになる」,「行使する」は「行う」,「負担する」は「負う」,「終了する」は「終る」といったふうである。
(3) 漢字は文部省の定めた常用漢字の範囲に限った。
(4) 通俗に用いられていることばを用いた。たとえば「控除する」は「差引く」とし,「提出する」は「差出す」,「左の」は「次の」とした。そのほか「為す」「因る,依る,拠る」,「其の,此の」,「非ず,在らず」はかなにするよう,また「其の」「之を」などの字をなるべく用いないようにすることを強く希望したが、これは時至らず,ついにいれられなかった。
 純粋な口語体にすることができなかったが,幸に法制当局の協力により,実質は口語体に近く,従来の法文に一歩を進めたものであった。6年半の長きにわたり,もっぱらこの法律の制定と法文の口語化に全力を打ち込み,満州の親族相統法は昭和20年7月1日制定公布された。この法律が公布されてから1月半で満州国は滅んだ。しかし,文体用語用字に関するこの基本的な考えは,後に述べる国語審議会の「法令用語の改善」の建議の中に多く実現されている。

 寡聞にして、千種達夫という法学者が、「法令用語の改善」に、いや日本語の「文体用語用字」の改善に貢献していた事実を知らなかった。
 千種が、上記のように書いているのを読むと、満州国「親族相続法」というものを、一度、見てみたくなる。今日、早稲田大学図書館には、「千種達夫文書」というものが収蔵されているという。そのなかには、満州国「親族相続法」の審議に関わる資料も、含まれているのだろうか。

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