礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「光文」か「昭和」か、新年号をめぐる謀略

2017-12-29 03:32:49 | コラムと名言

◎「光文」か「昭和」か、新年号をめぐる謀略

 今月二六日から二八日にかけて、川辺真蔵の「〝光文〟事件の真相」という記事(一九五二)を紹介した。いわゆる「光文事件」について、これに関わった東京日日新聞関係者の回想であった。
 この「光文事件」に関しては、新年号が、「光文」に決まりかけていたとき、この情報が流出したことがわかったので、急遽、別案であった「昭和」に差し替えられたという説が、長く信じられてきた。紹介した川辺真蔵の記事なども、この「差し替え説」の成立に、一役買ったものと思われる。
 その一方、近年では、「光文」という案が存在したのは事実だが、第一案であったという事実はなく、東京日日新聞の「光文」報道は、あくまでも誤報にすぎなかったとする説が有力になっている。たとえば、インターネット上の産経ニュース【政界徒然草】二〇一七年二月二五日は、次のように述べる。

「日本年号史大辞典 普及版」(雄山閣)によれば、宮内省は図書寮編修官の吉田増蔵氏が考案した「昭和」「神化」「元化」の3つに絞り込んだ一方、当時の内閣も「大正」を考案した国府種徳〈コクブ・タネノリ〉氏に命じ、「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」の5案を作成させていた。
 こうして宮内省から3案、内閣から5案が出されて精査した結果、「光文」を含む国府案はすべて姿を消し、吉田案の3つが残った。中でも「昭和」が最有力候補として枢密院に提出され、これがそのまま決定されたという。
 こうした経緯を踏まえ、同事典は「『光文』が枢密院で内定していたけども某紙にスクープされたから再度審査して『昭和』に変更したということはありえない」としている。

『日本年号史大辞典 普及版』(二〇一七)では、「差し替え説」は、完全に否定されている。多分これが、今日における多数説ないし有力説なのだろう。
 しかし、「差し替え」がなかったとしても、枢密院の審議における情報が漏洩したことは、まぎれもない事実である。問題になった東京日日新聞号外(一九二五・一二・二五)には、次のようにあった(改行は原文のまま)。

元号制定に関しては枢密院に御諮詢あり同院において慎重審議の結果
光文』『大治』『弘文』などの諸案中左の如く決定するであらう
  『光 文』

 ここにある「光文」は、内閣から枢密院に提出された五案のうちのひとつである。枢密院の審議における情報は、あきらかに洩れている。
 さて、奇妙なのは、この号外が触れている「大治」、「弘文」という年号案である。これは、宮内省からの三案、内閣から五案のいずれにも含まれていない。いったい、この情報の出どころは、どこだったのだろうか。
 そこで想起するのが、中島利一郎の証言である。彼は、次のように述べていた(昨日のコラム参照)。

 そして「光文」にぶっつかりました。これは唐代の詩人皇甫威の「回文錦賦」に「閲披風前光文爛然、百花互進五色相宜」とあるのに基くのでありますが、そのほかにも二つ三つ選び出して、会議の室へ戻って報告すると、みな「光文」の方がよいといい、「これにしよう」といいあっているのを聞いたのでありました。

 中島利一郎は、このとき、「光文」以外に、「二つ三つ」の年号案を選んだと証言している。それが、「大治」、「弘文」だったのではないか。そして、枢密院のメンバーは、それらのうちでは、「光文」を支持したという。すなわち、漏洩したのは、「ここまでの情報」だったのではないか。その情報が、何者かを介して、東京日日新聞の西村公明政治部長に渡り、これが「号外」の文面に反映したのではなかったか。
 この推測が、まったくの見当外れではないとすると、情報を漏洩した人物として考えられるのは、以下の通りである。

一、「光文」ほかの案を提示した、中島利一郎本人。
二、枢密院の顧問官であった黒田長成侯爵、あるいは、その側近。
三、枢密院の会議で、メンバーが「光文がよい」、「光文にしよう」などと言っていたのを、直接、聞いた人物。ないし、間接的に聞いた人物。

 それにしても、新年号を決めるという重大な作業の過程で、新たに急遽、中島利一郎という人物を指名し、彼が『佩文韻府』という文献のみに依拠して提示した「光文」を、いきなり新年号の第一案に推すということがありうるだろうか。まず、ありえないと言うべきである。
 ここで、私見を提示する。光文事件は、何者かが仕組んだ「謀略」ではなかったのか。すなわち、枢密院で「光文」に決まりかけたかに見せかけ、情報漏洩の事実を確認すると同時に、情報漏洩に関わった人物を特定せんとする、一種の「謀略」(陽動作戦)ではなかったのか。【この話、続く】

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