礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

渋沢栄一、東京大学で銀行と手形の実況について講義

2019-04-23 04:42:07 | コラムと名言

◎渋沢栄一、東京大学で銀行と手形の実況について講義

 土屋喬雄著『渋沢栄一伝』(改造社、一九三一)から、別篇の二「日本資本主義の父渋沢栄一の政治経済思想」を紹介している。本日は、その六回目。「(三)学問と実業」の後半部分を紹介する。『 』は、渋沢栄一の文章から引いたものであろう。

 渋沢は德川時代に於ける商業の発達が遅々としてゐた一理由を学問と商業との懸隔に求めてゐた。『かゝる仕事は斯様【かやう】な道理に依て為し得べきものであるといふ攻究』に乏しかつたが故に商業にせよ、工業にせよ、農業にせよ、経験といふ費用のかゝる途【みち】を通じて割出されねばならなかつたのであると考へた。『どうしても事物に就て学問の応用を為し得なければ其事は大きくもならぬし、上手にもならない。尚強めて云へば拡し得られない。』商工業の進歩は今や学理との堅き提携なくしては求められない。彼の商業教育――更に一般教育普及の努力は此処に出発したのである。
 同様な見地から彼は高等教育卒業者が商業社会を志ざすことを歓迎した。かういふ話がある。
 彼が東京府瓦斯【ガス】局に関係してゐた時、技術者を雇入【やとひい】れようとして当時の大学総理加藤弘之に頼んで東京大学の応用化学出【で】の者を世話して貰つた処、其の人について直接相談して見ると、先づ第一にどれ程の給金をくれるか、又どういふ地位に使ふかを尋ねられた。そして云はゞ半官半民といふ様な仕事で給金と云ふと学校の教師よりも安い様に思ふ。左様【さやう】な名誉もなければ利益も少ない所は、大学中の生徒一体の顔に対しても勤めるわけにはゆかぬと拒絶された。此処に於て彼は『国家を裨補【ひほ】するにはお役人さへ造れば、日本の国が大変強くもなり、富みもすると云へぬことは弁を須【ま】たずして明かである。然るに学校で学ぶ人達が左様に実際の商売る若くは工業に付いて働くと云ふことを卑め、且つ嫌と云ふ風【ふう】があつた日には一体此の学校は何の必要になる』と老へて、加藤弘之を訪【た】うて『唯文字上さへ整【とゝの】ひ、理論さへ充分に云ひ役人さへ利巧であつたならば、日本は富み且つ強くなり得る者と思うて御座るか』と問ひ、『どうしても実業に学問を応用させる様に是から先き大学の方針を充分執つて行かねばならぬこと』を力説した。加藤はその説の当然なるに感じ、今後大学もその弊風除去に進むことを約すると共に、この気風一新のためには渋沢自身大学の講壇に上り、学生をして商工業家にも亦かゝる人あり、商工業決して卑しむべきにあらざる所以を示してくれる様に慫慂する所あつたので、渋沢も之を快く承諾し、明治十四五年〔一九八一、一九八二〕の交【かう】東京大学に銀行および手形の実況につき講義し、全学生に多大の感銘を与へた。男爵阪谷芳郎【さかたによしらう】氏も亦当時の聴講生の一人であつたのである。

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