◎ポツダム宣言の受諾は有力な一案だ(梅津参謀総長)
今井清一編『敗戦前後』から、林三郎の「終戦ごろの阿南さん」という文章を紹介している。本日は、その二回目。
八月十三日の午前四時少しまえ、大臣護衛の憲兵が私を呼びにきた。阿南さんはすでに軍服をきて庭の芝生に立ち、何かを冥想していた。「陛下に御翻意していただく方法をいろいろ考えたが、結局、陛下の御信任あつい畑〔俊六〕元帥から陸軍の総意を上奏して貰う以外には、もう方法がない。東京には杉山〔元〕元帥がおられるが、御信任がない」と前置きし、〔梅津美治郎〕参謀総長にこの旨を伝え、もし総長に異存がなかったら、すぐに迎えの飛行機を広島に出すように、と命じた。私はすぐに参謀総長の宿舎をたずねた。梅津さんは「ポツダム宣言の受諾は非常に有力な一案だと、自分個人では考えている。しかし大臣の最後的な努力には異存がない」と、例の荘重な口調で語った。話を聞きながら、梅津さんの考えは、阿南さんのそれとは少し違うように、私は直感した。ひとしくポツダム宣言に条件をつけるべきだとの論者であったが、梅津さんの方が、先きをよく見透し、考えの幅が広いような印象をうけた。
午前七時三十分、阿南さんは畑元帥上京の件を上奏した。そのついでに木戸〔幸一〕内大臣に会い、連合国回答の第四項、すなわち最終的な日本国政府の形態決定にかんする件につき反対意見を述べた。この会談の直後、自動車の中で「木戸さんの決心は固い。また軍にたいする反感も強い。軍だけが深い防空壕に入り国民は裸にされていると、軍を非難した」と内大臣について語った。
陸軍省に帰ると、彼は疲労恢復の注射をすぐにうった。少憩の後、午前九時から例の六人会議に出席した。連合国回答の検討をめぐって、やはり三対三の対立となった。総理の動揺は鎮まり、もとの意見にもどった。阿南さんと両軍総長の三人は、第一項の天皇の権限が連合軍最高司令官の制限の下に置かれることは考えられないこと、特に第四項の最終的な日本国政府の形態が日本国民の自由に表明する意志によって決定するといっても、占領国によって強制的に誘導される恐れが多分にあること等の理由から、天皇の身分保証につきなんら疑念をさしはさむ余地のなくなるまで交渉を統けるべきだと強調した。他の三人、すなわち総理、外相、〔米内光政〕海相は、第一項でいう天皇の権限にたいする制限は、ただ降伏条件の履行という範囲内のものであること、第四項の最終的な日本国政府の形態の決定にあたっては、日本国民が連合国から圧力を加えられないための含蓄ある保証とみなされること等の解釈から連合国回答の受諾を主張した。そして討議は、いずれの側からも歩みよりがなく、午後三時までずっと続いた。
討議の舞台は、午後四時から開かれた閣議に移った。劈頭【へきとう】、総理は連合国回答にたいする各閣僚の率直な意見を求めた。その結果は受諾賛成案が多数であった。しかし阿南さんの所信には変化がなく、天皇の身分保証を確めるのほか、日本軍自らの手で武装解除を行うこと、占領軍の本土占領を最小限度にすることの二条件をもつけ加えるよう強調した。かくして閣議もまとまらぬまま午後七時三十分ごろ散会となった。【以下、次回】