礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

余ハ今日、日本ノ為ニ喪ニ居ルノ心地ス(ボアソナード)

2023-08-24 00:02:58 | コラムと名言

◎余ハ今日、日本ノ為ニ喪ニ居ルノ心地ス(ボアソナード)

 長尾龍一『思想としての日本憲法史』から、第4章「鹿鳴館の挫折とともに」の第四節「仮面舞踏会(Fancy Ball)」を紹介している。本日は、その後半。

 それから二〇日後の五月一〇日朝、フランス人法律願問ボアソナードは密かに井上毅を訪れ、現在進行中の条約改正作業の条約案は「旧条約ニ劣レル事甚ダ著シ」く、現在は日本にとって「未曾有ノ危急」であり、「此事若シ実行セラレナバ日本国民ハ再ビ二十年前ノ変動ヲ起ス」であろうと述べた後、次のような対話となる。
 《右一般ノ説話終リテ
 ボ氏突然井上氏ニ問ヒテ云ク足下伊藤伯ノ仮装会【フアンシーボール】に赴カレシヤ。
 井上氏答フ 偶々病気ノ故ニ辞シタリ。
 又問フ 鳥居坂邸(井上伯ノ邸)ノ芝居ニハ赴カレシ乎。
 答フ 又病ヲ以テ辞シタリ。
 ボ氏云ク 足下ハ定メテ予ト同感ナル故ニ態ト辞セラレタルナルペシ。予ハ近日宴会ノ席ニ行ク事ヲ好マズ。日本国ハ外ハ権利ヲ減ジ、内ハ進歩税ヲ徴収シ、前途暗黒、哀痛ノ境界ニ沈淪セントスルノ時ニ当リ東京ノ都府ハ建築土木ト宴会トヲ以テ大平ヲ楽メリ。予ハ今日ハ贅沢ノ時ニ非ズト信ズルヲ以テ、各大臣ノ宴会ハ都テ之ヲ謝絶スルナリ⑵。》
 実は、ポアソナードがこのような意見をもっていることは、事前に井上の耳に入っていた。五月七日井上の伊藤〔博文〕宛書簡は次のように報じている。
 《此頃ボアソナド氏、或ル親密之交際ある日本人ニ向ひ、左之説話いたし候由、法制局参事官岸本辰雄・廣瀬進一伝承いたし、内々小官迄話し候ニ付、不閣御参考之為、奉達清聴候、
 一、 余ハ今日日本ノ為ニ喪ニ居ルノ心地ス、日本ハ将ニ回復スへカラサル哀悼ノ地ニ沈マントス、其故ハ条約改正ノ談判、段々ニ外国公使ノ為ニ侵入サレ、今ハ已ニ最初ノ原案ノ形ノミヲ存スト雖、其内部ニ包含シタル精神ノ部分ハ、総テ日本ノ為ニ甚シキ不利益ノ点ニ落チ、将来此ノ改正ヨリ生スル結果ハ、遥ニ旧条約ニモ劣ルニ至ラントス、此上ハ只タ日本人民ノ輿論、又ハ内閣ノ注意ヲ以テ改正ニ抵抗シ、遂ニ批准ヲ経ルニ至ラズシテ、旧条約を継続スルノ一方アルノミ、》 (『井上毅傳 史料編 第四』一〇三~四頁) 
 翌五月八日、伊藤は井上毅に「条約改正事件ニ付、ボアソナートノ説云々ハ、恐ラクハ造言ニ相違有之間布ト被察候。……為念〈ネンノタメ〉賢兄ボアソナードに御面会、同人之口気分御探リ見被下⑶」と応答しているから、一〇日は井上の方が呼び出したものであろう。しかし井上自身も早くより外国人裁判官任用案に疑問を提出しており⑷、ここにファンシーボールを引き金として、条約改正に対する大反対運動が起るのである。

 ⑴ 『世外井上公伝』七九〇頁。〔正しくは、『世外井上公伝』第三巻、七八九~七九一頁〕
 ⑵ 「井上毅ボアソナード両氏対話筆記」『明治文化全集外交篇』。
 ⑶ 『井上毅傳 史料編 第五』一〇五頁。
 ⑷ 井上毅の伊藤宛書簡(一九年一二月一八日)(『伊藤博文関係文書』三六三頁)。

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