礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

全員ヲ陛下ノ御下ニ復帰セシム(パラオ照部隊長)

2023-08-13 01:45:32 | コラムと名言

◎全員ヲ陛下ノ御下ニ復帰セシム(パラオ照部隊長)

 藤本弘道『陸軍最後の日』(新人社、1945)から、「大局は動かず」の章を紹介している。本日は、その四回目。

 かうした諸事件のなかでも、いはば終戦前夜の喜劇とも見られるのは、東部軍管下の一小部隊がとつた行動である。
 彼等は玉音の御放送が行はれては一大事であると考へ、それを阻止するには東京放送局の鳩ケ谷〈ハトガヤ〉、越ケ谷〈コシガヤ〉、新郷〈シンゴウ〉の三送信〔所〕を押へればその目的を達すると考へ、十五日午前その三ケ所に闖入〈チンニュウ〉し、その二ケ所を押へることに成功したのであつたが、他の一ケ所では局員の頓智で、いま停電中で送信は出来ないから大丈夫だといはれ、科学知識の欠如からその真偽が判らず、而もその一ケ所さへ送信所が生きてゐれば送信は可能であることをも知ちぬまゝ約十二時間を経過、結局そのため玉音の御放送は何の差支へもなく行はれたのであつた。
 以上の如き内地部隊の態度に比して全般的に立派だつたといへるのは外地部隊の状況だつたといへる。その一例をパラオ照部隊長が中央に打電して来た電文によつて紹介しておかう。以下はその電文である。
『曩ニ〈さきに〉非常ノ大詔渙発セラレ停戦ノ大命ヲ拝ス。痛恨断腸全パラオ地区ヲ覆フ。然リト雖モツクヅク惟フニ皆我等一億ノ禊祓〈みそぎはらえ〉足ラザルニ因ル。更ニ我等将兵ノ戦力発揮未熟ナリシニ起因ス。ペリリユー、アンガウルノ将兵ハ克ク戦ヒタリト雖モ遂ニ之ヲ敵手ニ委ネタル等全ク我等ノ罪死以上ニ値ス。誠ニ恐懼〈きょうく〉ノ極なり。今停戦ノ大命ヲ拝セントシ万死飽ク迄鬼畜ヲ鏖殺〈おうさつ〉セズンバ止マザルノ烈々タル闘魂封ジ難ク之ガ為武人トシテノ去就ニ関シ意見ナキニアラザルモ従容自若〈しょうようじじゃく〉儼乎〈げんこ〉トシテ大義明分ニ就カントス。須カラク〈すべからく〉私心我見ヲ去リ有ユル感情ヲモ擲チ〈なげうち〉テ只管〈ひたすら〉天皇陛下ノ御命令ノ間ニ間ニ〈まにまに〉随順シ奉ル。之以外ニ大義明分ナク臣道実践モ亦ナカルベシ。茲ニ承詔必謹〈しょうしょうひっきん〉大命下リ次第直チニ隸下全将兵ニ停戦ヲ命ゼルト共ニ大命トアラパ内ニ血涙ヲ堪エ長恨ヲ吞ミツツモ矛〈ほこ〉ヲ捨テシメ而モ兵一員ヲモ剰サズ全員ヲ陛下ノ御下ニ復帰セシムルコトコソ先ヅ第一ニ行ズ〈ぎょうず〉ベキ真乎ノ忠節ナリトノ決意ヲ固メタリ』
 これらの動揺のまつたゞなかにあつて、最も注目されるのは、陸軍中央部であるところの参謀本部、陸軍省の中堅将校の思想或ひはその動向であらう。
 そしてそれは阿南〔惟幾〕陸相の動向と密接な関係があるのである。【以下、次回】

 これによれば、8月15日の午前、東京放送局の鳩ヶ谷、越谷、新郷の各送信所を襲った小部隊があったという。しかし、著者は、その小部隊の名前を記していない。また、小部隊による制圧を免れたのが、どの送信所だったかも明らかにしていない。おそらく著者は、当該小部隊および当該送信所の関係者を意識し、あえて、それらを伏せたのではないだろうか。
 また、後半に「パラオ照部隊長」が発した電文が引用されているが、この「パラオ照部隊」とは、パラオ諸島に派遣されていた第十四師団(照兵団)のことである。だとすれば、この電文を発したのは、第十四師団の最後の師団長・井上貞衛(さだえ)中将ということになろう。

今日の名言 2013・8・13

◎兵一員ヲモ剰サズ全員ヲ陛下ノ御下ニ復帰セシム

「非常ノ大詔」を受けて、「パラオ照部隊長」が中央に発した電文中の言葉。「御下」の読みは、たぶん、「おんもと」。「パラオ照部隊長」は、第十四師団の最後の師団長・井上貞衛と推察される。

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