◎勝敗は皇国の隆替に関す(戦陣訓)
藤本弘道『陸軍最後の日』(新人社、1945)から、「継戦と軍人精神」の章を紹介している。本日は、その二回目。
大体この陸海軍人に賜はりたる勅語の発源は所謂軍人道徳の確立を目指して下し賜はつたもので、その最初は明治五年二月海陸軍刑律を発布してその随従的なものとして生れた読法に根源があり、その後自治自由を尚ぶ〈タットブ〉新思潮と服従を専一とする軍人の思想とが相容れざるところから、我が陸軍創設に山縣有朋を助けて多大の貢献のあつた西周〈ニシ・アマネ〉が講演した兵家徳行の要旨を基礎として、軍人精神を統一せんがため渙発せられたものであるが、我が国の軍隊総てこれを服膺〈フクヨウ〉することによつて、単に戦闘団体ではなくして、道徳的に崇高なる意義を有する最も光栄ある軍隊たらしめんとする真意が何時の間にか忘れられてしまひ、それが我が国特有の発展をなし、特有の意義を存する武徳にのみ対する説明であると解することが強くなり、亘理章三郎〈ワタリ・ショウザブロウ〉氏のいふが如く、之を拳々服膺し、淬礪〈サイレイ〉の誠を致すことによつてのみ我が国固有の武徳を具へた〈ソナエタ〉軍人たることを得る、とする面のみが浮き上つて来て、本来のことは忘れ去られ遂にはこの勅諭こそ、独り〈ヒトリ〉軍人のみならず、武国日本の国民としてもこの精神に生きるべきてあるとするのみならず、少くとも日本は一億皆兵たるべき立場より将来を背負つて立つべき青年学徒の全部も、軍人とともにこの精神にのみ生きこの精神の中に死ぬべきであると極言するまでに至つた。
従つてこの勅諭の中に盛られたる精神にのみ従つて戦ひ、その形式の中に死ねと少年の頃から教育されて来た現代の軍人にとつて、今回の如き最後の面にたゝされたとき、戦争継続を飽くまで主張することは最も正しく、陸相の所信は日本軍人としては当然のことであつたのである。また大東亜戦争遂行中の日本国民としても、斯くあるべきであるとすることが日本人の最も正しい態度として教育され肯定されて来たことも事実なのである。
この故に、我が陸軍が、終戦のその瞬間に於いて、またその後の動向を決する態度に於いて、終戦後の一般国民から鋭い批判の眼を向けられた第一の理由があつたのである。
軍人が、魂、精神といふことにのみとらはれて、それだけでこの戦争を解決せんとした例は多々ある。
その悉くが勅諭に発し、またこれに帰するとする戦陣訓は
『信は力なり。自ら信じ毅然として戦ふ者常に克く〈ヨク〉勝者たり。必勝の信念は千磨必死の訓練に生ず。須く〈スベカラク〉寸暇を惜しみ肝胆を砕き、必ず敵に勝つの実力を涵養すべし。勝敗は皇国の隆替〈リュウタイ〉に関す。光輝ある軍の歴史に鑑み〈カンガミ〉、百戦百勝の伝統に対する己の責務を銘肝〈メイカン〉し、勝たずば断じて已む〈ヤム〉べからず』
と必勝の信念に関して説き、実力を信念によつて補充し信念を勝利の堡塁たらしめんとした結果は、本土決戦に於いて、杉山〔元〕元帥が陸相時代に起案し、阿南大将が陸相就任当初に布告した本土決戦訓五ケ条に至り、特にその第一条たる
『皇軍将兵は神勅を奉載し、愈々聖諭の遵守に邁進すべし。
聖諭の遵守は皇国軍人の生命なり。
神洲不滅の信念に徹し、日夜、聖諭を奉誦〈ホウショウ〉して之が服行に精魂を尽くすべし。
必勝の根基茲に存す』
に至つて極まつたといふことが出来よう。【以下、次回】
最後の「本土決戦訓五ケ条」とは、阿南惟幾陸相が、1945年(昭和20)4月8日に発した「決戦訓」を指すと思われる。
また、「亘理章三郎氏」とあるのは、大正・昭和期の道徳教育研究者として知られる亘理章三郎(わたり・しょうざぶろう、1873~1946)のことである。東京高等師範学校教授、文部省視学委員などを務め、『国民道徳序論』(金港堂、1916)、『軍人勅諭の御下賜と其史的研究』(中文館書店、1932)、『教育勅語釈義全書』(中文館書店、1934)など、多数の著書がある。
※本日午前9時ごろ、今夏初めて、ツクツクボーシの声を聞いた。