◎アメリカ軍、「四つの自由」のビラをまく
川島武宜『ある法学者の軌跡』(有斐閣、1978)の紹介に戻る。本日および明日は、同書の第Ⅴ部「終戦前後」の第一章「終戦の頃」を、前後二回に分けて紹介したい。
川島武宜『ある法学者の軌跡』(有斐閣、1978)の紹介に戻る。本日および明日は、同書の第Ⅴ部「終戦前後」の第一章「終戦の頃」を、前後二回に分けて紹介したい。
Ⅴ 終 戦 前 後
一 終 戦 の 頃
⑴ 戦争における隠れた運命の分岐点
昭和二〇年の一月であったと思いますが、海軍の軍務局にいた某君と偶然に会い、本郷の「鉢の木」(レストラン)で二人きりで戦局について話をしていたとき、こういう話を聞きました。当時海軍では、戦争の成りゆきを深く憂慮し重大な決意をするかどうかのために、日本とアメリカの軍需生産の全資料をそろえて最も権威ある何人かの経済学者に、「日本の軍需生産の能力でアメリカに対抗し得るかどうか。絶対極秘にして迷惑をかけないから、ほんとうのことを言ってもらいたい。」と聞いたところ、「アメリカの軍需生産は今が絶頂で、今後は落ちる。日本の軍需生産はこれから伸びる」という結論を出されたので、この戦争を続けるほかはなくなった、とのことでした。この話を聞いたとき、私はあきれました。そのような「経済学者」の返答は一体本気なのだろうか、と思いました。
それからあと半年ほどのあいだに、全国の都市のほとんどがじゅうたん爆撃され、猛火の中で「皆殺し」作戦の犠牲になり、最後には広島と長崎との二回の原子爆弾攻撃でさらに悲惨な「皆殺し」の犠牲を払ったのです。この戦争の経過においては、いくつかの運命の分岐点があったと思いますが、私が聞いた右の話は、それ以来私の脳裡から去らないのです。
⑵ 米軍が「四つの自由」のビラをまく
戦争の末期に米軍は飛行機でいろいろな宣伝ビラをまきましたが、その中に、「四つの自由」を漫画入りで説いたものがありました。言うまでもなく、あらゆる「自由」ないし基本的人権を奪われていた日本国民に「自由」を思い出させ、現体制、現政権に対する不満感を呼び起すことをねらったにちがいありません。しかし、私の知るかぎりでは、そういう心理戦略的効果はゼロに近かったようでした。日本国民は「自由」とは大へんに邪悪なものであると教えこまれており、また明治以来「自由」を享受した人はほとんどなく(仮りに、あったとすれば、支配層の一部だけだったでしょう)、自由を「思い出す」余地は全くなかったでしょう。おそらく、「自由」ということばを聞いてはりきるのは、一部のインテリだけだったと思います。米軍は心理戦略に多くの学者を動員していたはずですが、やはりアメリカ「市民」の感覚は、永年にわたり自由を失っていた東洋の全体主義国家の「人民」とはあまりにもかけ離れていたのだ、と思います。この宣伝ビラは、あのじゅうたん爆撃の「みな殺し」に比べると、日本人の心理に与えた影響では百万分の一もなかったのではないかと思うと、いささか滑稽でさえありますが、考えてみれば、これほどの無効果は、まことに悲惨な日本国民の心理――「奴隷的」心理――を示しているわけで、長い期間にわたる支配体制や政治宣伝ないし教育が人間の思想をどれほど深く且つ固定的に決定してしまうものであるかを、つくづく考えさせられたのでした。〈193~194ページ〉【以下、次回】
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