◎前進座、「歌舞伎王国」で旗あげ(1936)
先日、深い考えなしに、坂本徳松著『前進座』(黄土社、1953)を購入したが、実に有益な本であった。
前進座が、歌舞伎界の古い体質を批判した有志によって組織されたことは知っていた。しかし具体的なことは何も知らなかったので、読んで非常に勉強になった。
前進座の創立は1936年(昭和6)5月、旗あげ興行は同年6月だという。坂本徳松は、その当時のことを次のように記している。
旗あげ興行のかげに
飛行館鳩の間での創立総会で、貴重な精神的礎石はおかれた。しかし、それはまだ紙に描かれた図面にほかならない。
地をならし、杭をうち、建物をたてる工作はこれからだ。
第一回の旗あげ興行は、昭和六年(一九三一年)六月十二日から二十八日まで十七日間、市村座にかかることになり、だしものは歌舞伎世界の内部を描いた「歌舞伎王国」(外山後平=村山知義作)と「大岡政談白粉のあと」(光村進一翫右衛門作)「飛びっちょ」(長谷川伸作)の三本で,「歌舞伎王国」の演出は、土方与志〈ヒジカタ・ヨシ〉であった。
稽古をすませ、あとは座員が芝居に熱中しさえすればいいというわけにはいかない。
創立早々の劇団のはじめての自主経営で、宣伝から経営万端を三十余名の全員が分担しなければならないのだ。
毎日朝早くから座員は全員街頭に立って、ビラをまいた。まだ観客層の組織されていない当時としては、依然花柳界や株式市場に主なる観客をみつけねばならなかった。もちろん、いっぱんの家庭も軒なみに訪問して、宣伝ビラをくばった。
俳優がデパートのエレベーターの入口のところで、それぞれ前進座の評判を吹聴し順次二階・三階・四階等々まで上っていったというサクラ戦術の話題もある。
しかし、昭和六年といえば、前年からの恐慌・不況のつづきで、おまけにこの年一月にはロンドン軍縮条約が実施され、五月には官吏減俸案も決定という不景気気分の連続であった。
もっとも朝鮮には万宝山〈マンポウザン〉事件、満洲には中村大尉事件などが起り、来るべき九月十八日の満洲事変勃発につながる一連の動きは、遠く陰顕していたが、歌舞伎世界の旧秩序に反対し、その裏面をあばくというような不逞な「お芝居」に、花柳界や株式界でも色よい反応をみせる筈はなかった。
「歌舞伎王国」では、猿之助〔二代目市川猿之助〕にそっくりの扮装で長十郎〔四代目河原崎長十郎〕が歌舞伎のボス三桝屋金十郎、老優西川松玉を荒次郎〔二代目市川荒次郎〕、若い俳優を翫右衛門〔三代目中村翫右衛門〕がつとめ、身辺の事実をリアルに描きだした。
座員一同の涙ぐましい努力や稽古にもかかわらず、いざふたをあけると客席はまばらで、一日の切符売上げかわずか四十円、五十円という日もあった。入場料は特等・一等が一円五十銭、二等が一円、三等六十銭、四等三十銭であった。
毎日打出し後に、経営についての相談がつづけられた。これでは座員の月給もだせるわけがなく、創立総会で座員の給料最低七十円などと決定したことは、夢のまた夢であった。
けれども、心から前進座の門出を祝い、これを支持する人もないのではなかった。三等四等席には熱心な観客の声があった。神田駿河台の佐野病院長からは、米五俵がとどけられ、そのほか前進座フアンからのお届けとして、沢庵、味噌、梅干などの食糧品が送られた。兵粗攻めにならぬようにとのあたたかい心づかいからである。
米五俵は市村座玄関に飾られたが、夜おそく芝居がはねると、座員の家族数に応じて、二合、三合とふくろにいれて、それがわけられた。乏しきをわかちあう美しい心の発露である。しかし、米をとりだしたあとの俵にはカンナクズが詰められ、何も知らない入場客には、依然としてそれは米俵にみえたことであろう。いまでも前進座の人たちは、米五俵のおくりもののうれしさを語っている。
月給のかわりに、毎日往復分の電車切符が渡された。私の友人で高名な某詩人はその貧窮時代に勤め先の新聞社で交通費代りにもらう電車とバスの切符を一枚づつさいては、家賃の足しに大家に支払ったという美談の持ち主であるが、舞台では歌舞伎大部屋の苦しい生活を熱演し、舞台をおりてもさらに苦しい現実生活の熱演では、俳優とその家族の苦労は一通りではない。詩人と電車切符!俳優と電車切符!身にしみる話である。
せっかくの旗あげ興行にもかかわらず、座員の家では、料金の「停電」で電気も水道もとまり、明日の米にも因る始末であった。
しかし、もともと無一文で、資金調達の工面をしながら旗あげしたのだ。座員は生活難に負けず、翌七月もひきつづき市村座で第二回興行をつづけ、「馬頭の銭」(長谷川伸)「弥次喜多プロ道中」(光村進一)「大悲学院の少年達」(外山俊平)の三本をだした。
こんども入りはそうよくなかったが、座員に給料五円をだすことはできた。このような前進座出発の苦闘のなかへ、いまも前進座文芸部にいる宮川雅青をはじめ、田中博、広瀬秀一郎らが入座してきた〈43~45ページ〉
歌舞伎界から飛び出した前進座が、その旗あげ興行の出し物として選んだのは、歌舞伎界の内情をリアルに描いた「歌舞伎王国」であったという。「歌舞伎王国」というタイトルに、諧謔と皮肉を感じた。【この話、続く】
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