◎椋鳩十の『鷲の唄』、風俗壊乱で発禁(1933)
昨日、「今日の名言」のところで、少し、椋鳩十のことに触れたところ、早速、「余白」さんから、コメントをいただいた。そこで、本日は、椋鳩十について、もう少し述べてみる。
昨四月一二日朝のNHK放送では、椋鳩十の短編集『鷲の唄』(春秋社、一九三三)は、発禁処分を受けたとされていた。そこで、国立国会図書館収集整理部編『発禁図書目録』(国立国会図書館、一九八〇)で確認すると、たしかに、風俗壊乱を理由に発禁となっている。『鷲の唄』の発行月は一九三三年(昭和八)一〇月、発禁処分の日付は同月二八日である。
この本は、一昨年の六月から七月にかけて、明治大学駿河台キャンパスの中央図書館一階ギャラリーで開催された「城市郎文庫展―出版検閲と発禁本」にも、出品されていたらしい(私も同展をのぞいたが、『鷲の唄』には気づかなかった)。あるブロガーが、『鷲の唄』に目をとめられ、インターネット上に、次のような感想を寄せられている。
問題の発禁本が写真の「鷲の唄」=写真。1933(昭和8)年4月に自費出版された「山窩調」(さんかちょう)に新作を加え、同年10月に春秋社から刊行されました。/山窩とは、定住せず山間を移動しながら生活していた山の民で、戸籍がない人も珍しくなかったとか。ヨーロッパのロマのイメージといわれます。本の題にもなっている「鷲の唄」は、鷲に幼児をさらわれ、取り返そうするも返り討ちにあってしまう、ちょっと怖くて悲しいストーリーですが、鷲が体現する自然の神々しさに圧倒されます。また、やっつけられてもたくましく生きていく自由な人々(山窩)の大らかさは、清々しささえ感じさせます。/これがなぜ発禁に? 戦前の「出版法」は「安寧秩序ヲ妨害」する社会主義思想などにとどまらず、「風俗ヲ壊乱」する文書図画を禁じていました。山窩の定住しない(管理されない)生き方(椋さんは奔放な「性」も描いています)が、お上には目障りだったのでしょう。/これら発禁本を収集して明治大に寄贈した城市郎(じょう・いちろう)さんはパラフィン紙のカバーをかけ、メモを書き込んでいます。「鷲の唄」には「昭和8年10月15日発行/10月28日 風俗禁止/山窩の原始的生活を耽美的筆致を以て描く/1500部発行 155部差押」とあります。発禁処分といっても、差し押さえられたのは1割くらいで、1300部以上が回収されなかったのが意外であり、ちょっと痛快でもあります。
なお、ウィキペディア「椋鳩十」の項は、私家版『山窩調』が発禁になったかのように解説しているが、誤りでないのであれば、典拠を示していただきたいものである。【この話、続く】
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