◎こんなに下の者を人間扱いにしないところはないね
坂本徳松著『前進座』(黄土社、1953)によれば、前進座は、戦後間もないころ、映画制作に力を入れていた。前進座にとって記念すべき演目「歌舞伎王国」も映画化されることになり、シナリオも完成していたという。
坂本徳松は、このころの前進座の様子を、次のように紹介している。
戦後前進座では、映画の面でも、戦前戦時中の行動を自己批判し、ことに昭和二十四年(一九四九年)三月の座員家族七十五名の日共入党以来、明確な目標をうちだし、組織的な協力のもとに映画製作にのりだすことになった。
その具体的成果が、「われらの映画」第一回作品「どっこい生きている」と、同じく第二回作品「箱根用水」(のち「箱根風雲録」と改題)である。
これらは独立プロ新星映画社との提携で企画され、はじめ衣笠貞之助〈キヌガサ・テイノスケ〉監督で「箱根用水」、今井正〈タダシ〉監督で「歌舞伎王国」、山本薩夫監督で「首切り正月」の三つが用意された。ところが、第一回作品として松竹で作られることになっていた「箱根用水」が、例の昭和二十一年〔1946〕のレッド・パージ騒ぎで中止となり、けっきょく「どっこい生きている」が先にでき、つづいて「箱根風雲録」が完成、「歌舞伎王国」がいまなお未完ということになった。
岩佐氏寿〈ウジトシ〉・平田兼三・今井正の脚本、今井正の監督で昭和二十六年〔1951〕三月に撮影開始した「どっこい生きている」は、五月十五日に完成、六月に封切りされた。これには前進座と新星映画社との協力ばかりでなく、北星映画、日本映画演劇労仂組合連合、全囯映画サークル協議会、全日本土建一般労仂組合、日本青年祖国戦線、全日本金属労仂組合をはじめ、多くの労仂者、知識階級、学生等が資金カンパその他で経済的にも支援した。いわばこれらの進歩的勢力の技術的・資金的カンパによってつくられた映画である。
主人公の職安労仂者毛利修三を〔河原崎〕長十郎、その妻さとを〔河原崎〕しづ江、同じく自由労仂者花村を〔中村〕翫右衛門、班長野田を中村公三郎等々前進座のほとんど全員出演のほかに、労仂者水野を木村功、その妻を岸旗江、秋山婆さんを飯田蝶子が助演している"
【この間、約二ページ分を割愛】
さいごに「歌舞伎王国」については、前進座のための映画シナリオが、村山知義〈トモヨシ〉氏によってでき上っている。(雑誌「テアトロ」昭和二十五年九月号)これも簡単に予告篇的な筋書きだけを紹介すると、まずさいしょに帝都劇場の正面が画面にあらわれ、側面の絵看板から、つづいて楽屋入口。
つぎに日本一の歌舞伎俳優を自認する座頭〈ザガシラ〉山下金右衛門の楽屋、つぎが金右衛門の息子でいま売出しの立女形〈タテオヤマ〉吉弥の楽屋、ここは老女形西川雁雀と相部屋。
つぎに六十三才の老歌舞伎俳優で、名題〈ナダイ〉ではあるが下級の地位にある松島額之助の四階の部屋、ここは西川あやめ、中村扇十郎、山下冠寿郎という老若とりまぜての俳優たちの相部屋である。
つぎに六階の広間、つまり大部屋に額之助の息子門八その他十人ほどの下級俳優がつめており、ここでは内職に喫茶店ガールとして仂いた女形吉太郎が警察へあげられた事件を中心に、生活談義が活潑で、劇場のエレベーターガールよりも給料が安い下積み連中の生活の実情が語られる。そこにはまた兵隊から除隊後、警官になっている元俳優が訪ねてきて、「警官になってから、ずいぶんいろんな社会の暗黒面にも首を突っこんだが、芝居国のようなところはないね。こんなに下の者を人間扱いにしないところはないね」という会話もきこえる。
筋にもならないことを紹介してきたのは、この楽屋風景が、かつての芝居「歌舞伎王国」と同じく、そのまま歌舞伎世界の序列【ヒイラルキー】を巧まず描きだしているからである。そして、このような楽屋と舞台および上級俳優と下級俳優の家庭生活の対照をバックに、律義な老下級俳優額之助の辿る生活コースが描かれるのだが、そこには古典歌舞伎の古き王城の豪華さ(たとえば「楼門五三桐〈サンモンゴサンノキリ〉」の南禅寺山門の場)や興行資本に操られつつも、一面冷酷無惨な座頭の生活観、芸術観とともに、その三百五十年の長堤に早くも喰い入りつつある蟻の穴に匹適〔ママ〕すべき近代的自覚の対立が、一と筋の赤い糸となって縫いだされている。
破門となり、首を切られた額之助が、それでもまだ師匠金右衛門の舞台の至芸には感激を覚えつつ、灯の消えていく劇場を遠景にしてひとり立ち去っていく、というのがラスト・シーンである。
この結末はともかく、ここに描かれた世界こそ、前進座が二十二年前にそこから飛びだした母胎であり、いわば知りつくしたふるさとの世界である。いま前進座にいる何人かの人たちは、それぞれかつてはこの「歌舞伎王国」中の登場人物だったはずだ。
前進座が旧世界からうけつぎ、しかも、それをもっていまは旧世界を見返しつつある歌舞伎や、それをふくめて前進座的リアリズムを世に問うためにも、これはもっともふさわしい試金石であるといえないだろうか。【以下、略】〈96~101ページ〉
文中、「労仂」という言葉が出てくるが、「仂」は、「働」の略字である。
映画「歌舞伎王国」は、結局、完成しなかったという。残念なことである。今こそ、こういう映画が作られなくてはならない。
今日の名言 2023・6・7
◎こんなに下の者を人間扱いにしないところはないね
映画シナリオ『歌舞伎王国』に登場する元俳優の言葉。「下の者を人間扱いにしないところ」とは、「芝居国」のことである。上記コラム参照。なお、カンヌ国際映画祭に出席した北野武氏は、5月24日に現地で、日本の芸能界について、同趣旨の発言をしたという(SmartFLASH 5/27(土) 19:19配信)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます