◎ポツダム宣言は重視する要なし(鈴木貫太郎)
雑誌『自由国民』第一九巻二号(一九四六年二月)から、迫水久常(さこみず・ひさつね)の「降伏時の真相」を紹介している。本日は、その三回目。
〝原子爆弾〟出現前後
首相曰く到々来ましたね
ソ連に対するこの申入れは数次の応酬を重ねたのであるが、結局ソ連側は間もなくポツダムにおける米英ソ三国会談が開かれるが故にこの会議後において日本と話合すべき旨を伝へ、スターリン首相ならびにモロトフ外相はポツダムに向つた。政府では這般〈シャハン〉の状况に顧み、この方策の前途必ずしも好望ならざるを察し心配したのであるが、暫くポツダム会議を慎重に監視することにしたのである。
政府はホツダム会議を極めて注意深く見守つてゐたのであるが、その内容は容易に捕捉し得ないでゐたところ、七月二十六日、果然米英支三国の対日共同宣言が発表せられた。これにソ連が参加してゐない理由について種々研究したが、ソ連も当然裏面にては参与してゐるものと判断せられたのである。政府は直にこの宣言を仔細に検討しであるが、その の掲ぐるところは結局将来における今次戦争終結の基礎となるべきことはこれを認めざるを得ないといふ結論ではあつた。
一面軍部側の強硬意見はかくの如きものは到底問題にするに足らずといふにあり、また一方ソ連との話合も継続中であるので、一応この宣言に対しては何ら意思表示をなさゞることゝ決定した。しかし新聞紙は、これを政府は黙殺するといふ表現を用ひて報道し、また軍部側の強硬意見は政府に於て到底かくのごときものは受諾し得ざる旨何らかの意思表示をなさゞるときは軍の士気に影響するをもつて速かにこの宣言に対する強硬な意見を政府の公式意見として発表すべしとの論もあり、いろいろ紛糾を重ねたが、たまたま七月二十八日に行はれた総理大臣と新聞記者団との会見において、新聞記者の質問に対し総理はこの宣言はこれを重視する要なきものであるといふ答弁をなさゞるを得ないこととなり、新聞紙にはこの事を成るべく小さく取扱ふやう要請したのである。
この事は外務大臣は強く反対せられたのであつて陸海軍大臣は軍統帥部との間に立つて種々斡旋せられたのであつた。而して此事は忽ち外国に、我が方は宣言を拒絶したり、と報道せられ、後日ソ連邦の我が国に対する宣戦布告の理由の一つとなつたことは如何に環境が政治上重大な影響を及ぼすものであるかを感ぜざるを得ない。【以下、次回】
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