◎利を離れて刻苦精励する近江商人
本日も、中村元の『日本宗教の近代性』(春秋社、一九六四)から。
昨日のコラムでは、日本の近江商人について中村が、「かれらは日本のユダヤ人と呼ばれるほどねばり強く、利益追求に対して執拗極りないと言われている」と書いていることについて、不満を述べておいた。
ただし、これだけでは、中村元が近江商人に対して、偏見しか持っていなかったかのように受けとられてしまう。中村の名誉のために、別の箇所も引用しておこう。
職業生活においては、特に慈悲の精神にもとづく奉仕的活動がなされねばならぬということが一般に強調された。例えば、徳川時代の中期以後における近江商人の活溌な商業活動には、浄土真宗の信仰がその基底に存するという事実が、最近の実証的研究によって明らかにされている。ところで近江商人のうち成功した人々の遺訓についてみるに、かれらは利益を求める念を雛れて、朝早くから夜遅くまで刻苦精励して商業に専念したのであるが、内心には慈悲の精神をたもっていた。実際問題としては利益を追求しなかったわけではないはずであるが、かれらの主観的意識の表面においては慈悲行をめざしていたのである。その一人である中村治兵衛の家訓によると『信心慈悲を忘れず心を常に快くすべし』という。これは当時浄土真宗において世の中の商人に対し仏の慈恋をよろこぶべきことを教えていたことに対応するのである。例えば江左諦住の『極楽道中独案内』には、職業生活は報恩の行であると説く。『人々商を事とししのき〔鎬〕をけづり奉公に隙〈スキ〉なきありさま、全くうきよごとにて、後世ねがう身には似てもつかぬ事のようなりとも、御慈悲よろこぶ手前には、あきなひするも奉公するも、すぐそれが報恩報謝のつとめにそなわるなり。』そうして仏に由来する慈悲がまた人間の慈悲として世俗生活のうちにも現われなければならない。『此世の吉凶禍福は前世の因縁に任せ、唯正直に家業に出精致し、家を斉へ、家来けんぞくをよく養い、其上心にかけて身分相応に慈悲善根、先祖の追善仏事等のいとなみをいたすべし。』慈悲は凡夫をはるかに超えているものであるが、しかも凡夫によるのでなければどこにも実現され得ないものである。〈一七四~一七五ページ〉
ここでは、中村は、日本の近江商人について、「浄土真宗の信仰がその基底に存する」、「利益を求める念を離れて、朝早くから夜遅くまで刻苦精励して商業に専念した」などと書いている。中村は、日本の近江商人のそうした一面も把握していたのである。中村は、そうした一面も把握していたが、江戸期以来の偏見にも一理あると見ていたのだろうか。
ちなみに、ここでいう「最近の実証的研究」というのは、内藤莞爾の論文「宗教と経済倫理―浄土真宗と近江商人―」(『日本社会学会年報 社会学』第八輯、一九四一)などを指していると思われる。
*金子様、昨日のコラムに対し、貴重なコメント、ありがとうございます。秩父の矢尾商店は、たしかに近江商人で、その堅実な経営姿勢は、地元民にも愛され、秩父事件のときも、この店だけは略奪を受けず、かえって営業の続行を求められたと聞いています。
向宗特有の諦観的な姿勢が現れていると思います。それ
は一切は神の心であろうとする一神教的な姿勢に通づる
ものだと思います。ですから、人間力で加持祈祷などやら
ないのだと思います。