◎銭湯は若衆と遊女の会合所
昨日の続きである。清水文弥の『郷土史話』(邦光堂、一九二七)は、往時の性規範が、出版当時とは異なるものであったことを、具体的な例で示している。本日は、「湯屋と遊女」という文章を紹介してみよう。これは、同書の「民俗」篇の「六、男女の風紀」の「イ、遊女と遊女屋の話」に含まれている四つの文章のひとつである。
湯屋と遊女
むかしの銭湯はすべて男女混浴であつた。であるから、遊女屋付近の銭湯になると、昼過ぎから日没まで遊女の入浴する者が多いといふので、土地の若衆連〈ワカシュレン〉はわざわざその時刻を見計つて出掛けたものである。従つて、遊女町の銭湯と云へば、之等若い男女の入浴で特別の繁昌を見たもので、その間風紀上に少なからざる弊害のあつたことは云ふ迄もない。則ちその当時の銭湯と云へば、若衆と遊女の会合所ともいふべきで、そこにば若い男が女郎の背を洗ひ流しながら、猥談衆人を煙に巻き或は今宵逢瀬の約束話など、風紀上の紊乱を如実に開展してゐたものであつた。
清水は、同書の自序で、「私は過去に於ける事実に対し、その批判や議論をしようとする者でないことは、前に申述べた通りであります。左様な批判や議論は諸君にお任せして、私は唯事実は強いものであるといふ信念の下に、昔の農民生活……農村世態等その実際を茲に開展せしめたのであります」と述べている。ここに紹介した「男女の風紀」に関する話題も、清水は、そうした観点から提供しているのである。引用した文章中に、「風紀上に少なからざる弊害」という批判的表現があるのは事実だが、清水はここで、そうした批判をおこないたかったわけではなく、あくまでも、往時の「事実」を紹介したかったのである。
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