◎清水文弥『郷土史話』の自序(1927)
昨日の続きである。清水文弥の『郷土史話』(邦光堂、一九二七)の巻頭にある三つの序文のうち、昨日は、農政史家の小野武夫による「郷土史話に序す」を紹介した。続いて、作家の幸田露伴による「序」を紹介する順序だが、都合により、清水による「自序」のほうを、先に紹介する。
自序
私は文章を以つて世に立つて居るものでもなければ、社会の情況を論ずる学者でもなく、又さういふ者にならうと云ふ望〈ノゾミ〉を抱いてゐる者でもありません。たゞ下野国那須郡……今の親園村に嘉永四年〔一八五一〕を以つて生れ幸にして今日に及んでゐる一老人に過ぎないのであります。
さて、さうした老人たる私が、何んの目的の為めに今回この書を上梓するに至つたかと申しまするに、夫れは今更に名誉や利益を贏ち得たい〈カチエタイ〉とか乃至は自分の意見を世に問ひたいなどふいふ左様な自我本位の考へからではなく、一つに昔の農村の実情を今の人々に知らしめ、以つて近代文化研究の資に供したいといふさゝやかな希ひに外ならぬのであります。
従つて、本書に述べてありますところのものは、批判とか議論といふものを可及的〔なるべく〕避け努めて私の若い頃に見聞した世態や人情等をその有りの侭に記述したのであります。
有りのまゝの事実……世の中に於て是れほど強いものはないと、私は固く信じてゐるものであります、そして、遇ぎ去つた事実は既に存在した事実といふことであります。かくて、昔の事実は今はもう私のやうな老人にとりましては、その頭の中に一つの幻影の如くに遺つてゐるに過ぎませんが、而かもその影としての事実は、恰も写真の種板の如く容易に一つの印象として諸君の眼前に展開させる事が出来るのであります。
ところで、私は過去に於ける事実に対し、その批判や議論をしようとする者でないことは、前に申述べた通りであります。左様な批判や議論は諸君にお任せして、私は唯事実は強いものであるといふ信念の下に、昔の農民生活……農村世態等その実際を茲に開展せしめたのであります。そして、これによつて読者諸君が幾分なりとも益せらるゝ処があつたならば、著者としての本望これに過ぎずと考へるものであります。
終りに臨み、本著に対して序文を寄せて下されたる幸田露件、小野武夫両博士及び此の編纂並に出版に就いて御尽力下された姉尾幸三、品川潤、日高節の三氏の御厚意に対し篤く感謝の意を表する次第であります。
昭和二年三月 著 者 識
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