◎小野武夫と清水文弥
先月二三日以降、清水文弥の『郷土史話』(邦光堂、一九二七)という本を紹介した。この本の巻頭には、三つの序文が置かれている。順に、農政学者の小野武夫による「郷土史話に序す」、作家の幸田露伴による「序」、清水による「自序」である。
このうち、小野武夫による「郷土史話に序す」は、同書の成立事情を説くと同時に、清水文弥の人となりを語っていて興味深い。本日は、これを紹介してみよう。
郷土史話に序す
昨年の夏、突然一葉の端書〈ハガキ〉が私の家に舞ひ込んだ、一度会つて話をしたいから、都合の好い日を知らせよとの申入れであつた。約束の日に茅屋〈ボウオク〉を下訪せられたのは、足袋素足に質素の身装〈ミナリ〉をした一人の老翁であつた。初対面ながら何となく懐し味〈ナツカシミ〉のある訪客であつたので、早速座敷に御招じ〈ゴショウジ〉申して御用件を承ると、多年心懸けて置いた農村経済史に関する著述を出版したいから、其相談に乗つては呉れまいかとて、柿色の風呂敷包の中から一括〈ヒトククリ〉の原稿を出された。老翁の話を聞きながら、原縞を点検して行く内私の頭の中にも一個の案が纏つたので、其事を申上げると、翁は其れに同意して其日は拙宅を辞せられた。其れから私と翁とは同じ用件で数回の面談を遂げたが、斯くする間に翁の起稿の業も段々と進み、遂に最近に至り上梓の運〈ハコビ〉にまで至つたのである。
老翁とは外ならぬ、本書の著者清水文弥翁其人〈ソノヒト〉である。今年七十七歳になられると云へば、維新の際は十五六歳の少年であつたらふが、明治になつてからは、其郷里下野国〈シモツケノクニ〉那須郡親園村〈チカソノムラ〉で各方面の村役人を勤め、其五十歳の頃からは、社会事業に興味を持たれて東京に出で、財団法人修養団に関係し、其の団の地方巡回講師として足跡を全国に印し〈インシ〉、殊に九州新潟及び秋田地方の農村青年の啓発には、最も其力〈ソノチカラ〉を致されたと云ふ。
喜の字を祝はるゝ程の高齢にありながら、元気尚衰へずして記憶力に富み、其談論はいと歯切れよく、粗朴にして熱意ある態度は相手の人を動かさずには已まぬ〈ヤマヌ〉であらふ、私の如き其〈ソノ〉初対面より打寛ろいで〈ウチクツロイデ〉翁と相談じ〈アイダンジ〉其の教〈オシエ〉に預らんことに決意したのは、全く野人其侭〈ソノママ〉なる翁の風格であつた。去る本年〔一九二七〕の三月二日の夕、私共平生〈ヘイゼイ〉農民史に興味を有する数人の同好者相集り、翁を招いて徳川時代の農村生活に就き、一場の講話を聴いたのであるが、列席の学友諸君も恐らくは、私と同様の感に打たれたことであらふ。
郷土史話は芸術的作品としては勿論物足らない点があらふけれども、強記なる翁が七十年の昔を回顧して語り出づる処、皆真実ならざるは無く、土の香〈カ〉のせざるものは無い、されば動〈ヤヤ〉もすれば上層描写の史論に堕し易き経済史学徒は、之を読みて文献記述の正否を確むることが出来ようし、又一般世間の君子は翁の経験談を聴いて、古人の生活事実に触るゝことが出来るであらふ。此意味に於て郷土史話は、下野〈シモツケ〉一地方に限られたる地方史であり、清水翁一人の実験記でありながら、今や散逸せんとしつゝある徳川時代の農民史料を、故老の手記を通じて後世に貽す〈ノコス〉には、最も適切なるものとして之を江湖に薦め、同時に翁の寿齢の益々高らん〈タカカラン〉ことを祈るものである。
昭和二年三月 小野武夫謹識
これを読んだ限りの印象だが、この『郷土史話』という本は、小野武夫がプロデュースしたものではないのか。小野は、既存の原稿の並べ方を考えたほか、清水翁に対して、追加の原稿を依頼するといったことをおこなったのではないか。
文中、「足袋素足」の読みは、タビスアシ、またはタビハダシ。要するに、清水文弥翁は、ハダシ足袋をはいて、小野の家を訪れたということであろう。
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